小春日和
ホナミの家に入るのは初めてで、ここに俺が入っていいのだろうか?と一瞬躊躇したが、
「汚くしてるけど。どうぞ」
そう言われて靴を脱いだ。
汚くしてると言うのは一種の挨拶で、本当に汚いかどうかとはまったく関係がないということは20世紀に来て知ったことの一つだ。
「忙しいのにごめんなさい」
「いや全然忙しくないから」
これは嘘じゃない。
病気のことを知られてからというもの運転代行の仕事がなくなり、外での仕事も誰かと一緒じゃないと割り振られなくなったので、 必然的に留守番をすることが多くなり暇な時間が増えた。
だから今日突然ホナミからかかってきた電話に出て、
「ご相談したいことがあるんです。ドモンさんには内緒で……」
と言われて、これは仕事というわけにはいかないだろうと思いつつホナミの家にやってきたのがアヤセだったのはごく自然な成り行きだった。
ホナミの家は普通に可愛らしい女の子の家だったが、この家にドモンも来てるのかなどとつい考えてしまう。
「これなんです」
ホナミは一通の封筒を差し出した。
「今朝ポストに入ってたんです」
宛先も差出人も書いていない。もちろん消印もない。 直接ポストに入れたのだろう。
どうして電話に出てくれないのか
どうしてそんな危ないことをしようとするのか
心配なだけなのに
会ってください
ルイ
「実はこれ2度目で1度目がこっち。おとといです」
もう一通の封筒を差し出される。
電話をかけても出てくれないので
手紙を書きます。
とにかく無茶なことはしないでください。
心配です。
ルイ
ルイ、というのが差出人の名前なのだろう。
「一度目は気持ち悪いだけだったけど、二回も続くとちょっと怖くて」
急須にお茶の葉を入れながらホナミはちょっと顔を顰めた。
「電話はきてないのか?」
「きてない、と思います」
「他に心当たりは?」
「ぜんぜん」
ホナミは仕事柄、そして性格上危ないことに首を突っ込みやすい。
この手紙の送り主はホナミのことをある程度知っているのかもしれない。
「ごめんなさい。ドモンさんに相談しようかと思ったけど。心配させると思ったし。大ごとになりそうだとも思ったし」
確かにドモンがこれを見たら大騒ぎしそうだ。
「電話に出てくれたのがアヤセさんでよかった。ドモンさんだったら切っちゃってたかも」
ホナミは笑いながら湯飲み茶碗をテーブルの上に置いた。
「ドモンは心配性だからな」
「そうなんですよぅ。この間も取材中に転んじゃったから心配されちゃって」
また転んだのか。転びやすい人だ。
アヤセは内心呆れたが、ホナミは嬉しそうに身を乗り出した。
「怪我もしなかったから全然大丈夫なんですけどねぇ」
このままだとどんどんドモンとの惚気話になりそうなので話を遮ることにする。
「他に最近変わったことはないのか」
ホナミは首を横に振った。
「ないんです」
ホナミがドモンに心配をかけたくないという気持ちはわかったが、 だからと言ってアヤセがドモンよりこういう問題を得意としているわけではない。
とにかく手紙をもう一度読んでみる。
気持ち悪い文章だと思うのはたぶん、ストーカーじゃないか?という先入観があるからだろう。 よく読んでみるとたいしたことは書いていない。
あれ? これはもしかして
ホじゃなくて、キじゃないのか。
手紙の一番上に『ホナミちゃんへ』と書いてあるとばかり思っていたが、ホじゃなくてキに見えなくもない。
字が下手な上に乱暴なので読みづらい字だ。
「ホナミちゃんへじゃなくて、キナミちゃんへと書いてあるんじゃないか?」
「えーっ?」
ホナミがアヤセの手から手紙を受け取ってじっと見る。
「……これ、キかも」
「しかしキナミというのは誰だ」
ホナミはしばしじっと手紙を見つめ、やがて目を上げた。
「もしかしたら隣の人かしれません。名字しか知らないけど。この間男の人にキナちゃんって呼ばれてたような気がするんです」
そうだとすると、間違えて隣の家に入れたんだろうか。
「私、ちょっと聞いてきます!」
手紙を掴むと、ホナミはあっという間に部屋から出て行った。
なんという行動の早さだ。
アヤセは呆気に取られながら、ホナミはジャーナリストだったのだと思い出した。
結局手紙は隣の人宛てのものだった。
キナミさんは看護士で中東の紛争地域へ行こうとしていて、その件で喧嘩して恋人からの電話を着信拒否していた。 だから恋人は手紙という手段に出たらしい。
まったく、そんな大事なときにどうして家を間違えるのだ。
ホナミは恋人と別れて中東へ行くという隣人の決意に感激して興奮気味で帰ってきた。
「私もそういうところで写真を撮るという仕事の仕方もあるかもしれません」
その気持ちは悪くないが、自分の恋人がこういう性質だったらさぞ心配だろう。 そう思うと、妙な手紙を入れてきた恋人の心配も、この無鉄砲なカメラマンの恋人であるドモンの心配も、少しだけわかるような気がする。
アヤセのクロノチェンジャーが突然鳴ったのはその時だった。
『アヤセ、今大丈夫?』
竜也の声だ。ロンダーズが出たのかと身構える。
「ああ、大丈夫だ。ロンダーズか?」
『そうじゃない。えーっと』
「どうした?」
ロンダーズとは関係ないのにわざわざクロノチェンジャーで連絡してきて、そのくせ言いよどむというのは何なんだ。
「あのさ、アヤセが行き先言わずに出たって言うから」
「あ……」
病気のことがばれて以来、出かける時には行く先をはっきりさせておくようにとユウリに言われている。まるで小さい子どものようだ。 まあしかし心配をかけているのはわかってるし、強引にタイムレンジャーを続けているのだからこれも仕方のないことだ。
だが今日はホナミの様子も微妙で仕事とも私用とも判断しづらかったので、 とりあえずタックに出かけてくるとだけ告げて、出てきたのだった。
「ああ、悪い」
『おまえ、どこで何やってんだ!』
その途端ドモンの耳をつんざくような大声が聞こえた。
あまりの声の大きさにクロノチェンジャーを耳から遠ざける。
『ちょっとドモン』
『声大きいですよ!』
ホナミが目を丸くして、ドモンさん?と声に出さずに聞いてくる。
それには答えずに
「竜也、もう少ししたら戻る」
ドモンの声を無視して一方的に通信を切った。
「アヤセさん、おかえりなさい!」
「ただいま」
トゥモローリサーチに戻ると、シオンがニコニコとソファから立ち上がった。
「おい! どこへ行ってたんだ!」
シオンの声を遮るようにドモンが喧嘩腰で詰め寄ってきた。
どうしてやたらでかい声を出したがるんだろうか。 こんな声に返事をする気にはなれない。
「アヤセ」
今度はユウリに呼び止められる。
ドモンの声を無視することはできるが、ユウリを無視することなどできるわけがない。
「出かける時は行き先を言う約束でしょう」
「ああ、悪かった」
神妙に頭を下げた。
「これから気をつける」
「お願いね」
「で、どこに行ってたんだよ」
ドモンがまた近づいてくる。 全部説明してもいいが、どうせすぐにホナミが全部話すだろう。こうガンガン言われると途端に面倒くさくなる。
「おまえに言う必要はない」
「はあ? だからそういう約束だって言ってんだろ」
「俺はおまえとは約束してないだろ」
「は? 何言ってんだ」
「ユウリとは約束したけどおまえとは約束してない」
アヤセは穏やかな声で言った。
「ちょ、ちょ、ちょっとアヤセ」
竜也が慌てて2人の間に割って入った。
「だからおまえに言う必要はないんだよ」
そう言ってアヤセは微笑んだ。
「なんだと! この!」
「ドモン!」
「ドモンさん!」
アヤセに掴みかかろうとするドモンを竜也とシオンが2人がかりで止めに入る。
誰かがホナミにストーカーでもしようものならそいつは間違いなく半殺しになるだろうな。
などとぼんやり思いながら、いつの間にかアヤセは笑っていたらしい。
「おまえ、何笑ってんだよ!」
ドモンが、竜也やシオンを飛び越えてアヤセの喉元を掴もうとする。
「もう、アヤセもどうしてそういうこと言うんだよ!」
「そうですよ。ドモンさん心配してたんですよ」
「心配なんてしてねえ!! 」
「2人ともいいかげんにしなさい!」
それまで黙って見ていたユウリがついに立ち上がって大きな声を出したので、みんなの動きが止まった。
「ったく」
ユウリが怒って舌打ちする顔というのは非常に迫力がある。
「アヤセ、ああいう言い方はないよ。ドモンが心配してたのはわかってるだろ」
気まずい空気のトゥモローリサーチを抜け出して、買い物当番の竜也とアヤセはスーパーへ向かった。
ちょうどスーパーのタイムサービスに間に合う時間だ。
「ああ。ついうるさかったから」
「うるさいって。そうだけど」
竜也が苦笑する。
「喧嘩売らなくてもさー」
「なあ、竜也」
「ん?」
「喧嘩できるのも生きてるからだと思わないか」
「えっ?!」
竜也は思わずアヤセの顔をまじまじと見つめた。
「なんてな」
そう言って笑ったアヤセの顔は晴れ晴れとしてた。
「もう、アヤセってさ……」
そんな顔を見ると怒るわけにもいかなくなるじゃないか。
竜也は溜息をついた。
「どエスだよね」
「そうか?」
アヤセは楽しそうに笑った。