それは熱のせい
窓から入ってくる朝の光が明るくて心地よい。
きっと外は寒いんだろうけど、日差しのある場所なら日なたぼっこもできそうだ。
今日は未夢と一緒に散歩に行く絶好の天気だな。
僕が風邪なんて引いてなければ連れて行けるのに。
ついそんなことを思ってしまうけど、そもそも風邪だから休んで家にいるのであって、
風邪を引いていなかったらこんな時間に家にはいないから、どっちみち散歩には行けないのだ。
寝込むほどの風邪は久しぶりだ。
昔スパイをやってたころに感染症にかかってえらい目にあったことはあるけど、日本に帰ってきてボウケンジャーになってからは
病気にはとんと縁がなかった。
インフルエンザじゃなかったのがせめてもの幸いだけど、熱が出るというのはしんどいものだってことを思い出した。
ゴホゴホと咳き込んで、部屋が乾燥してることに気づく。
加湿器の音がしないから、水がなくなってしまったんだろう。水を入れなきゃ、と思うけど起き上がる気になれない。
ああ、でも起きて薬飲まないと。それには何か食べたほうがいいけど、食欲がない。
そういや昨日の夜から何も食べてない。
昨日の午後無理矢理早退させられて病院に行って、帰りに当分家に篭れるように必要なものを
いろいろ買い込んできて、レトルトのおかゆも買ってきたけどそれを作る気にもなれず、
未夢の食事を用意するだけで力尽きて寝てしまった。
まあ風邪なんて結局は水分とって寝てるしかないんだし。
もう少ししたらゼリー飲料飲んで薬を飲んでおけばいいだろう。
未夢が心配そうに近寄ってくる。
「大丈夫だよ。すぐに元気になるから」
頭を撫でてやると嬉しそうにした。未夢が嬉しそうだと僕も嬉しい。未夢の頭の感触が気持ちいい。
額に冷たいものが触れる。ひんやりして気持ちがいい。
これもしかしたら女の子の手じゃないだろうか。
この細い指先は猫じゃなくて女の子独特のものだ。
未夢と一緒に暮らすようになってからめっきり女の子と過ごす機会が減ったから、この感触は久しぶり。
やっぱり女の子の手っていいなあ。
でもいったいこれ誰の手?
まさか未夢がまた人間になっちゃった? まさかね。虹の反物はしっかり保管してあるはずだし。
それじゃ菜月ちゃん?。でも菜月ちゃんは今仕事中だし、この部屋に入ってくることもできないだろうし。
僕は実は女の子に看病してもらったことは殆どない。具合の悪い姿なんて女の子に見せたくないから
そういう事態になるのは避けてきた。
唯一看病してもらったことがあるのは、えーっと、あの子はだれだっけ。
まだスパイになる前だから、もうずいぶん前だけど、親不知を抜いたら熱が出たことがあって。
あの時付き添ってくれた子はなんて名前だっけ。
えーっと、あれはアキちゃん。そうだ。アキちゃんだ。
ぼんやり目を開けると長い髪が見えた。
「……アキちゃん、どうして」
そう。アキちゃんは長い髪をしてた。
だけどどうしてアキちゃんがここにいるんだろう。
「残念ながらアキちゃんじゃありません」
少し笑いを含んだその声を聞いて僕ははっきり目が覚めた。
「さくらさん?!」
驚いて思わず起き上がろうとしたらクラクラと目が回って頭が枕に落ちた。
「ごめんなさい。驚かせてしまいました」
懐かしいその声を聞きながら、しばらく頭が回るのに耐えた僕はゆっくり目を開いた。
「お久しぶりです。お元気そうでなにより」
さくらさんは以前と変わらない感じのまま微笑んだ。
「お久しぶりです。蒼太君はあまり元気じゃなさそうですね」
「どうしてここに?」
さくらさんはチーフ、いやチーフって言っても今のチーフの真墨じゃなくて元チーフだけど、その元チーフと一緒に宇宙にいるはずで、
それがどうしてここにいるんだろう。
第一どうやってこの部屋に入ることができたのか。
「この部屋のドアは未夢が開けてくれました。すみません。蒼太君に無断で入ってしまって」
未夢が?
僕はまじまじと未夢を見てしまった。やきもち焼きで僕が女の子とデートしてきたことがわかると怒っちゃう未夢が、
さくらさん招き入れるなんて。
それだけ僕のことを心配してくれるんだろう。
「未夢……」
ありがとう、と言おうとしたけど未夢は知らん顔してシッポを向けて行ってしまった。そんな様子もなんだか可愛い。
「ボイジャーが故障してしまって、修理のために緊急に帰還することになったんです。
急なことだったので事前に連絡できなくてすみません。あ、寝ててください」
起き上がろうとした僕は押しとどめられて、そのまま枕に頭を戻した。
「今日は、さ…、あの明石さんが蒼太さんの変わりに任務につくことになりました」
「さとるさんでいいですよ」
さくらさんは今では元チーフのことをさとるさんと呼んでいる。
偶然それを知って以来、僕と菜月ちゃんも元チーフのことをさとるさんと呼んでいるのだけど、
それはもしかしたらさくらさんが秘かに自分だけで使いたかった呼び名だったのかもしれない。
そう思うとちょっと申し訳ない。
「で、さくらさんはお見舞いに来てくれたんですか。嬉しいですけど、うつったら困ります」
「大丈夫です。もう今年は風邪は引き終わりましたから」
そう言って微笑んださくらさんは以前と変わってなくて、相変わらず美しい。
「何かしてほしいことはありますか」
「いや、そんな……。あ、それじゃ加湿器の水……」
そう言いかけて、既に加湿器が暖かそうな音をたててることに気づいた。
さくらさんが水を入れてくれたのだろう。
「すみません、ありがとうございました」
「何か食べました?」
「いえ、あまり食欲がなくて」
「卵がゆを作ってきたので、もしよかったら」
「さくらさんが!」
「驚きすぎですよ」
さくらさんは、くすりと笑った。
「菜月がキッチンを貸してくれたんです。以前菜月が風邪ひいた時に作ったら好評だったから」
「それじゃ少しだけ」
「じゃあ温めさせてくださいね」
僕の部屋でさくらさんがキッチンに立ってるなんて、なんだか不思議な光景だ。
熱のせいで味がわからなくて、正直言っておかゆが美味しいのかどうかよくわからなかった。
でも身体は温まったし、ずっと何も食べてなかったからちょっと元気になったような気がする。
「さくらさんにこんなにいろいろやってもらえるなら、風邪を引くのも悪くないですね」
「何を言ってるんですか。薬飲んだら休んでください」
さくらさんは、コップに水を入れて僕の前に置いた。
「氷枕、サージェスの医務室から借りてきましたから作りますね。」
僕はのろのろと薬を飲み、のろのろとベッドに入り、テキパキと食器の後片付けをするさくらさんの姿を眺めた。
これでエプロン着けてたら最高だな、なんて思う。
いや、変な意味じゃなくて。
いや、それはやっぱり変な意味だけど。
変な意味じゃなくても、さくらさんが働く後ろ姿を見るのは好きだったんだ。
美しくて真摯で強くて、時とてもに頼もしく、時にとても危なっかしい。
そんなさくらさんの後ろ姿を以前は毎日見てた。
さくらさんがチーフに想いを寄せているって最初に気づいたのは僕だ。たぶんさくらさん自身より先に気づいていた。
その姿が微笑ましくて可愛らしくて、秘かに応援しようと決めたんだった。
だから、さくらさんは初めから僕にとって恋愛の対象にはならなかった。
そうなることを避けた。
もし、さくらさんの気持ちに気づいていなかったら。
さくらさんのチーフへの想いを応援しようとしなかったら。
僕は、さくらさんを好きになっていただろうか。
「ちょっと頭上げてくださいね」
さくらさんは僕の頭をちょっと持ち上げるようにして、氷枕を差し込んだ。
冷たくて気持ちがいい。
「ありがとうございます。なんかせっかく帰って来たのにすっかりお世話になっちゃってすみません」
「蒼太君にはお世話になりっぱなしで、なんのお礼もできてませんでしたから。これぐらいいいんです」
ボウケンジャーの頃は世話になったりなられたりだからお互い様だ。
さくらさんはあの時のことを言ってるのかもしれない。
あの時、チーフと一緒にゴーゴーボイジャーに乗ったらどうかと提案したのは僕だった。
……ほんとうに、そんなことができるでしょうか。
僕は、たぶんほんの少し肩を押した。牧野先生と菜月ちゃんに協力してもらったから、
少し強引ではあったけどスムーズにことが運んだ。
だけど、僕が言わなくても、きっとこの人はチーフに着いていっただろう。
あの時、真剣な目で僕を見上げたさくらさんはもう決心をしていたような気がする。
「さくらさん、幸せですか」
「え、なにを……」
相変わらずシャイなさくらさんは顔を赤らめた。
「ふふ、聞くだけ野暮ですね。さとるさんは元気ですか」
「……はい」
さくらさんはゆっくり頷いた。
僕はやっぱりこの位置がいい。
ずっとさくらさんやチーフの仲間でいるのがいい。
そしてさくらさんの幸せそうな笑顔をいつまでも見てるのがいい。
「イタッ!」
突然右手に痛みが走った。
「あ!」
いつの間にか未夢がベッドの中に入り込んで引っ掻いているのだ。
「未夢!」
目を丸くしたさくらさんは、ベッドから出てきた未夢を見てクスッと笑って
「長居しすぎました。ごめんなさい。もう帰りますね」
と未夢に向かって謝ったのだった。
初めて書いた蒼太さんの話。もし、らしくなかったとしてもそれはきっと熱のせいなんです(汗)。
リクエスト目次へ
HOMEへ