約束

 

仕事が終わってから眠りにつくまでの時間を以前はどう過ごしていたのか、今ではよく思い出せない。
通常のトレーニングをして特凶試験の勉強をしてテレサに会いに行く。 そんな生活を続けるためには眠る時間を割くしかなかった。
もともと忙しいのは嫌いじゃないからそんな毎日は全然辛くなくて、むしろ充実していると感じていたけれど、 今思えばあの頃の自分は一種の躁状態だったのかもしれない。 舞い上がっていたとは思いたくないけれど、冷静さを欠いていたのかもしれない。

あれが特凶試験と関係ない事件だったら、もっと冷静にもっと落ち着いてクロードを救う方法を探すことができただろうか。
今更考えても遅いのだけれど考えずにはいられない。考えてしまうのは時間があるからだ。
テレサはおそらく一日中考えているだろう。 姉のために罪を犯して、姉の命を助けて、姉の恋人に殺された弟のことを、始終考えながら日々を送っているのだろう。
そう思うと、俺も考えるのをやめたくない。 俺が考えたってどうしようもないのだけれど、テレサが引き受けてるはずの悲しみを俺も共有したい。

くだらない。
自分の考えに失笑する。傲慢だ。共有なんてできるわけない。 こんなの感傷に浸ってるだけだ。
俺も美和と2人だけだから、テレサが弟のことをどんなに大事に思っていたかはよくわかる。 それをぶち壊した奴にどんな感情を持つかも想像がつく。
共有なんてできるわけないんだ。

せめてテレサにはちゃんと病気を治してほしい。 テレサの病気はよくなる方向に向かってると聞いているけれど、 そのために犠牲になった命のことを考えて生きる気力をなくしたりしてないだろうか。 気になる。





「せいがでるねえ」
見慣れた色白の顔に上から覗き込まれた。
ベンチブレスのいつもの重量が上がらないほど疲れ果てた俺は汗まみれだ。
「気づいてると思うけど、やり過ぎ、だよね」
気づいてる。と言いたいところだが、今ついに持ち上げられなくなって初めて気づいた。
時間を持て余した結果トレーニングルームにいる時間は以前よりずっと長くなっているが、 全然集中せずに他のことを考えながらやる筋トレなんて意味がない。意味がないどころか逆効果だ。 持ち上げるのが困難になるほど疲れ果てるまでベンチブレスやってるなんて馬鹿だ。
「ああ」
とりあえず返事だけして起き上がり、息を整える。

センちゃんにトレーニングの内容について意見されたのはたぶん初めてだ。
人のやり方に口を挟まない奴だから、仕事はともかくプライベートな時間でのあれこれに口を出すなんてことないのに。 今の俺の姿がよほど無様で、見るに見かねたんだろう。
「落ちていくのって意外に簡単なのかもな」
つい呟けば、いつもの変わらないのんびりした表情を向けられる。
「ウェイトやり過ぎたぐらいで、大袈裟だよ」
そうだ。大袈裟だ。 だけど今の俺は、姉の命を助けるためにたくさんの人を手にかけた弟の気持ちがわかってしまって、そんなクロードと、 クロードを手にかけた俺と、どっちが正しかったのかなんて考えてしまってる。 人間がどう転ぶかわからないってことを嫌ってほど知った。
「万が一俺が何かやらかすようなことがあったら、センちゃんがデリートしてくれよ」
「……」
絶句したセンちゃんを見た途端、自分が嫌になる。
まったく俺は。こいつを困らせるようなことを言って、何やってんだ。
「万が一の話だ。そんなことにはならない。だけど万が一そんなことになっても、 センちゃんにそんな嫌なことさせられないと思えば、俺も踏みとどまれるだろ」
万が一の一が現実になることはある。
だけど俺は刑事だ。刑事であることを選んだ。もう俺にはそれしかない。

センちゃんは、ふぅーっと溜息を付いた。
「そりゃ、そんなことになったら引き受けるしかないけど。だけどさ」
顔を上げて正面から強い目線で見られる。
「そんなことになりそうになったら、その前に話してよ」
あ、そうか。
「お互いどこにいたとしても、通信ぐらいできるでしょ」
そうだ。
話してほしかったんだ。


テレサも
クロードも
何も話さなかった。
話してくれても力にはなれなかったかもしれないけど、それでも話してほしかった。 何か方法がないかどうか一緒に考えたかった。


ヴィーノも。
話さなかった。俺に相談するという選択肢を選ばなかった。



鼻の奥が熱くなる。
「そうだな」
「そうだよ」
俺には信頼できる仲間がいて、助けてもらって、甘えさせてもらって、救われている。

俺も話せないかもしれない。
だから、そんなことになる前に絶対に踏みとどまる。
センちゃんにこんな経験をさせられるわけがない。

「悪い。変なこと言った」
汗の染みたベンチから立ち上がった。
「約束だよ」
後ろから念を押す奴がいる。
振り返らずに、ああ、と頷いた。

 

 





 

 

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