発熱

 

「財津原、気が付いたか」
目を開ければザンキさんに覗き込まれていた。
白い天井が見えて、ここは病院でとりあえず命は助かったのだと知る。
「シュキさんは、無事ですか」
「ああ無事だ」
「ノツゴは」
「逃がした」
俺の身体ごとノツゴを殺そうとしたシュキさんの計画はどうやら失敗に終わったらしい。
ほっと息を吐いてようやく、自分の身体を自分ではまったく動かせないことに気づいた。 いったいこの身体のどこがどうなったのか。
よく考えれば、遠く吉野の地にいるはずのザンキさんがこんな場所にいるのがおかしい。 いつも厳しい目で自分を見ていたこの人が、今は穏やかで優しい目をしているのがおかしい。
この人がこんな顔をする時は何かある。それは経験から知っている。
「ザンキさん」
まだぼんやりしている意識を集中した。
「俺は、また鬼に変身できるんですか」
この人が俺から目を逸らせないように、本当のことしか言えないように、強い視線で師匠の目を見た。
「なれるさ」
師匠はあっさりと答えた。
「あたりまえだ」
「しかし身体が動かないんですが」
「手術が終わったばかりで麻酔が効いてんだ。麻酔が切れれば痛みが襲ってくるぞ」
そういうことか。それならば身体が動かせない理由もわかる。
だがそれじゃ、動かせない自分の身体が勝手にガタガタ震え始めてるのはなぜなんだ。
「熱があるんだ。待ってろ。今もっと毛布借りてきてやる」
「すみません」
熱が高くて寒さで震えているのだと納得する。口に出す前に先回りして言いたいことを理解してもらえるのは楽だ。 昔から、この人のことはただ無条件で信じられた。黙って付いて行けた。
最近ずっと行動を共にしているシュキさんはかなり癖のある人で自分とは考え方も違う。一緒にいて戸惑うことも多い。 ザンキさんとのようには行かない。
「ザンキ」
立ち上がり掛けた師匠は、再び俺に目を移した。
「さっき私をザンキと呼んだろ。私はもうザンキじゃない。ザンキはおまえだ」
そう言うあなたもさっき俺のことを財津原と呼んだじゃないか。そう思ったがそうは言えない。
「はい」
久しぶりに師に会ってほっとしている。そんな甘えた気持ちを見透かされたような気がした。
もうとうに弟子ではないのだ。

「すまなかったな」
突然師匠の表情が曇った。
「あの時、おまえを強引に独り立ちさせておけばよかった」
ベッドの柵を両手で掴んで、まるで泣くのを堪えてでもいるような表情で俯く。こんな師匠の様子を見るのは始めてだった。
「……ザンキさん」
つい、たった今呼ぶなと言われたばかりの呼び方で師匠に声を掛けてしまう。

この人が引退した日、俺はザンキの名前をもらった。しかし独り立ちには早過ぎるのは誰の目にも明らかで、 俺はシュキさんに預けられることになる。 あの時点で弦の遣い手で弟子を取れそうな状況にいる鬼が他にいなかったからだ。
その判断が間違っていたとは思わない。 まさかシュキさんがノツゴと一緒に俺まで殺そうとするなどと想像できるわけがないのだ。
「謝ったりしないでください。シュキさんから学んだこともたくさんありますから」
これは本当のことだ。さすがに長いこと鬼をやっていただけあってシュキさんは様々なことを知っていて、 惜しみなくそれを教えてくれた。
「俺はまた鬼として復帰しますから。何の問題もありません」
師匠は俯いたまま何度も頷いた。
「毛布を借りてくる」
そう言って出て行く後ろ姿を見送りながら、生きていてよかったと心から思う。
俺が死んでいたら、あの人の心に一生癒えない傷を残すところだった。





風が流れるのが感じられて花の香りがする。
花には疎いから名前はわからないが、いい香りだ。
目を開ければ、窓際に花瓶があってオレンジ色の花が生けてあった。
誰か来たのだ。
それが誰なのかなんとなく予想がついて、スリッパを引っ掛けて病室を出た。
ノツゴにやられて以来一度もシュキさんとは顔を合わせていない。 シュキさんが追放処分になったことはベッドの上で聞いた。退院したら今度こそ俺は独り立ちすることになる。

見覚えのある後ろ姿が廊下の向こうを歩いていた。
「シュキさん」
追いついて声を掛ければ、シュキさんはゆっくり振り向いた。
追放されることが決まった人になんと声を掛ければよいのかしばし迷う。
「もう会うこともないな」
シュキさんの方から切り出してくれた。
「いろいろお世話になりました」
「殺されかけたのに礼を言うのか」
「俺を攻撃したのもシュキさんですが、俺を助けてここまで運んでくれたのもシュキさんです」
シュキさんは片方の頬を上げた。この仕草はこの人の癖だ。
「これからどうするんですか」
「おまえには関係ないことだ」
そうだ。もう俺には関係ない。もう俺はこの人の弟子ではない。
それなのに聞かずにはいられないのは、この人にどこか行く場所があるとは思えないからだ。
親の仇であるノツゴを倒すことに執念を燃やしていたこの人が、 ノツゴを取り逃がしたまま音錠を取り上げられ鬼に変身することもできずに生きて行く姿は想像できない。
「おまえ、その身体で人のこと心配してる場合か。自分のことを心配しろ」
厳しい顔でシュキさんは俺を見つめる。
「人のことに心を痛めすぎる。人のことを心配して自分のことが疎かになる。 そこがおまえの悪いところだ。その甘さが命取りになるぞ」
「はい」
この言葉がこの人からの最後の教えだ。神妙に頷く。
シュキさんはそんな俺を見て一瞬微笑んで片手を上げた。
去っていく後ろ姿にただ頭を下げた。


病室に戻って来たら突然胸の傷がズキンと痛んだ。
さっきシュキさんに追いつくために走ったせいかもしれない。
不意に風に乗って花の香りがして咽そうになる。
おそらく今発熱している。
熱が上がっていくのを感じながら、ベッドに片手を付いてじっと痛みに耐えた。





 

 


ザンキさんがどうして2人の師を持つのかはテレビでは語られていないので、勝手な設定です。

 

 

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