再会
「痛っ!」
さくらは思わず声をあげた。
後ろから来た誰かが激しい勢いで肩にぶつかったのだ。
ぶつかってきた大柄の青年は振り向きもせずに駆けて行く。
急いでいるのかもしれないが、こんなに強くぶつかったのだから一言謝ってもいいのではないかと思う。
走っていく後姿をつい睨んでいたら、不意に青年の身体が崩れ落ちた。
え?
よく見ると路上で宣伝のビラを配っていた若い女性が、青年の腕を掴んでいた。
「待ちなさい」
「なにすんだ!」
「今取ったものを出しなさい」
その女性は青年の腕を捻り上げながらこっちを見た。
「あなた!」
わたし?
「取られたものはない? 鞄の中を見て」
そう言われて、はっとした。
慌てて鞄の中を探ったら思ったとおり財布がなかった。
そんなに隙を見せて歩いていたのだろうか。考え事はしていたけれどそんなにボンヤリ歩いていたつもりはなかったのに。
唇を噛んだ。
「そっちの手を見せなさい」
その声を発するのと同時に女性は突き飛ばされ、その拍子に持っていたビラが路上に散らばった。
青年はピンク色の財布をその場に放り投げると走り出した。
「待ちなさい!」
そう言われて待つわけがない。
女性は屈んでピンク色の財布を拾ってさくらに差し出した。
「取られたのはこれだけ?」
「……はい」
「中も確かめたほうがいいわ」
「はい」
その時になって、この女性が自分より小柄で痩せてることに気づいた。
こんなに華奢なのに、あの大柄な青年に恐れることなく立ち向かっていくとは。なんて勇気がある人だろう。
それに掏られた当人でさえ気づかなかったのにあの青年がスリであると判断できるなんて。
「あの、あとは大丈夫です。ありがとうございました」
「そう。よかったわ」
そう言って微笑んだ顔が優しくて少し驚く。先ほど青年を捕まえていた時の厳しい顔つきとはまったく違う明るい笑顔だ。
「あんた勇気あるねえ」
「勇気あるけど下手すると怪我するよ。気をつけたほうがいよ」
いつの間にか通行人が周りに集まっていた。
「あ、ありがとうございます」
女性が落としたビラも人々が拾ってくれていた。
「ユウリ」
通行人の間から声がした。
「ユウリ、どうしたの」
「あ、竜也。なんでもないわ。スリがいたの」
「スリって、なんでもなくないじゃない。何か掏られたの」
「大丈夫。何も掏られてないわ」
「……竜也さん?」
ビラを抱えたその男性をさくらは見上げた。
「え? あれ? さくらちゃん?」
パーティーというのは苦手だ。
特に話したくもない人たちと、特に話したくもない話題について、適当に話して時間を潰さなければいけない。
しかもその間笑顔でいろと言われる。楽しくもないのに笑顔になんてなれない。
大人たちにとってはパーティも意味のあるものなのだろう。
このパーティーに出席できる人は限られているから、知らない人同士でもこのパーティーに出ている人であれば信用できる。
信用できる人と出会い知り合い、それが後の商取引に繋がっていったりするのだ。
だがさくらはまだ14歳で、そんな付き合いとは無縁だ。
このパーティーの食べ物はとても美味しい。それだけが嬉しい。
だけどいくら立食パーティーだからと言って、評判のローストビーフをそう何度も食べるのもきまりが悪い。
デザートのケーキが楽しみだが、それはパーティーの最後にならないと出てこない。それまでが手持ち無沙汰だ。
「もう飽きちゃったって顔してるね」
不意に声をかけてきたその人を見てさくらは、ほっとした気分になる。
「竜也さんこそ」
「あたり!」
竜也は笑って頷いた。
「また遅刻してきたんですか」
さくらが竜也と会う機会はそう多くなくて、殆どがこういったパーティーの席だった。
お互いにこういう場所が苦手だということはなんとなくわかって親近感を持つようになった。
「うん。ほんとは今日は来ないつもりだったんだけどさ」
さくらが西堀財閥の跡取りであるように、竜也は浅見グループの跡取りだから、来たくなくても来ないわけには行かない。
「でもたぶん今回で最後になると思うんだ」
竜也は少し声を落とした。
「俺、大学出たら家を出ようと思ってるんだ」
「……家を出るんですか」
「うん」
「……それって浅見グループを継がないってことですか」
「うん」
自分と同じで竜也もたった一人の子どもであるはずだった。跡を継ぐことは生まれた時から決まっていたはずだった。
「浅見グループを継がずに、何をするんですか」
「それはまだわからない。だけど自分が何をするかは自分で決めたいんだ」
跡を継がない。そんな選択肢があるんだろうか。
「跡を継ぎたいって自分で思えるならそれでよかったんだけど、俺はそうは思えないからさ」
例えば自分が西堀財閥から離れる。そう決めたらどうなるんだろう。周りはみんな反対するだろう。
怒ったり泣いたりするかもしれない。
「だからもう、さくらちゃんとパーティーで会うことは、ないかもしれない」
竜也の声は静かで落ち着いていた。
同じような境遇の者同士として、パーティーが苦手な同士として、お別れを言ってくれているのだ。
何か言わなければと思うが、何と言えばいいのかわからなかった。
「あ、ケーキが来たみたいだよ」
「さくらちゃん、久しぶり」
竜也に会うのはあのパーティー以来だった。
「大人っぽくなったね。今、高校生?」
高校の制服姿のさくらを見て、竜也は目を細めた。
「はい」
パーティーで会う竜也はいつもスーツを着ていたけれど、今日はラフな赤いチェックのシャツ姿である。
「どうしたの? スリ?」
竜也は眉を顰めて、右と左のさくらとユウリを交互に眺めた。
「あ、はい。助けていただいて。ありがとうございました」
もう一度深く頭を下げる。
「大丈夫?」
ユウリがサクラの顔を覗き込むようにした。
「はい」
綺麗な人だ。
綺麗なだけじゃなくて、毅然としていて勇気があって頼もしい。
私もこんな人になりたい。
「ユウリ、竜也」
誰かが呼ぶ声が聞こえた。
「あ、行かなきゃ」
その声に応じながら
「さくらちゃん、俺、今こういうことしてるんだ」
竜也は手に持ったビラを1枚さくらに手渡した。
ビラにはトゥモローリサーチの文字。
「ユウリや他の仲間と一緒にやってるんだ」
「…ほんとにお家を出たんですね」
「うん」
「竜也」
ユウリが声をかけた。
「何かあったらここに連絡して」
そう言うと竜也は踵を返した。
「じゃあね!」
満面の笑顔で竜也は手を振った。
以前から竜也は笑顔でいることが多い人ではあったが、それはどこか無理しているようでもあった。必ずしも心から笑っているわけではない。
さくらにはそう見えていた。
だけど今の笑顔には以前のそんな陰はまったく見えなかった。
この人はきっと今心底充実しているに違いない。
「じゃあ」
ユウリも小さく微笑んだ。
さくらが会釈を返すと、2人は走り出した。
浅見グループから離れるために竜也はみんなに反対されたり、親に怒ったり泣いたりされたりしただろう。
それを押し切って、若しくは説得して、これまでに教えられた知識を全部捨てて、たった1人で新しい場所へ行ったのだ。
それはどれほど大変なことなのだろうか。
……自分が何をするかは自分で決めたいんだ
以前竜也がそう言った時、自分は子どもすぎてその気持ちがよくわからなかったとさくらは思う。
だけど17歳になった今はよくわかる。
何をするか自分で決めなければならない。
その時はもうすぐそこに近づいている。
それにはまず、スリなんかに会わないようにしっかり歩かなくちゃ。
そう思ったら、もらったビラを握り締めていた。
現ボウケンピンク西堀さくらが17歳の頃の話。
ヒーロー小説目次へ
HOMEへ