立ち止まれない
失敗した。
人のいないところまで行くつもりだったのに間に合わなかった。結局商店街の路上で蹲ることになってしまった。 人が大勢集まってきてしまったがもうどうすることもできない。
救急車を呼ぼう、という声が上がるのを、よくあることだからすぐに治まると伝えて呼ばずにいてもらっているのだが、 もうそれも限界だろう。
苦しんでいる人間を見てどうすることもできない状況に、理由もわからず耐えられる人はそう多くはない。
「おい、やっぱり救急車呼べ!」
最初に駆けつけてくれた近くの書店の店長らしき男が、振り向いて叫ぶ。
それに答えるように一人の青年が携帯電話を取り出すのが見える。そんなことはやめてほしいが、 痛みはどんどん酷くなり声を出すこともできないので、もう止めることもできない。
ちょっと油断すると気が遠くなりそうになる。
いっそ気を失ったほうが楽なのはわかっている。この痛みからは逃れられる。
だがそういうわけにはいかない。意識を失ったら、運転免許証を見られ名刺を見られ、トゥモローリサーチに連絡されてしまうだろう。
30世紀に帰るべきだという意見を押し切ってタイムレンジャーを続けるのを強引に認めさせている身としてはそれだけは絶対に避けなければならない。
意識さえしっかりしていれば病院に行くまでに逃げ出せるかもしれない。
病院へ行ってしまったらいろいろ検査されて帰りが遅くなるに違いなく、みんなを無駄に心配させる。
救急車が病院に着くまでに逃げ出すにはどうすればいいだろうか。
考えたいが頭がうまく働かない。発作の時間が長すぎる。
最近急に発作の回数が増え時間も長くなっているのだが、ここまで長いことはなかったような気がする。
このまま死ぬのか。
このまま発作が治まらなくて死ぬのか。
急に恐しくなる。
恐しいと感じてしまったら終わりだ。恐怖に囚われたら何もできなくなる。
今は恐怖なんて感じている場合ではない。
この発作は絶対に治まる。絶対に治まらなければならない。
「……もう大丈夫。すみません」
なんとか声を発することができるようになると、ずっと傍にいた書店店長がほっとしたように息を吐き、 周り中に安心したような空気が流れた。
30世紀にいる頃も20世紀に来てからも見ず知らずの人たちを煩わせてしまったことはこれまでにも何度もありそのたびに 一瞬やるせない気分になる。
気にすることはない。この人たちともう会うことはないのだ。煩わしい思いをさせてしまったがそれもきょうだけのことなのだ。 いちいち気にしていては生き延びてなどいけない。
なんとか立ち上がって大丈夫な様子を見せると、人垣が外側から小さくなって行く。
「ありがとうございました。もう大丈夫ですから」
と頭を下げてその場を去ろうとしたが、そんなことが許されるわけもなく
「待ちなよ。まだ顔色悪いよ」
「そうよ。もうすぐ救急車が来るから一応病院に行ったほうがいいわよ」
「そうそう。救急車を空で返すわけにはいかないし」
と口々に言われる。
一刻も早くこの場を去りたかったが、そうもいかなくなってきた。もう救急車は呼んでしまっているのである。 ここでこの人たちを振り切って逃げ出すのは、あまりにも申し訳ない。
ここは素直に救急車に乗り込んで、そのあとでドアを蹴破ってでも逃げるしかない。
そう覚悟を決めたときに、不意に聞き覚えのある声がした。
「おい、なんの騒ぎだ」
「あっ」
「おまえ、何やってんだ」
紺色の制服を着た滝沢が立っていた。
まずいところで会ってしまったと、一瞬思った。
違う。そうじゃない。
助かった。
パトロール中に人垣を見つけたので、何があったのだと近寄って見ると人垣の真ん中いたのはタイムブルーだったので、 ああ、そういうことか、と即座に事情を理解する。
この場所で持病の発作を起こして苦しんでいたのが今、治まったところらしい。
近寄っていくとアヤセは嫌な奴に見られたとでも言いたげな表情で目を伏せたが、すぐに顔を上げて直人の目を見た。
「あ、もしかしてシティーガーディアンズ?」
アヤセの周りにいたうちの一人が声を上げる。
「そういえば、テレビで見るのこんな制服だよね」
直人が今話題のシティーガーディアンズの隊員だということに気づくと、人々はほーっとため息のような声を上げて直人を見上げた。
このところのシティーガーディアンズの活躍を知らない者はない。感謝され、崇拝され、もしくは批判され、恐れられている。 いい意味でも悪い意味でも人々の注目を浴びている。
「滝沢」
アヤセは直人の腕をつかむと人々の輪の中から少し離れたところに連れて行く。
「おい、勝手に掴むな」
と言うと、アヤセは腕から手を離し声を潜めて
「救急車を断ることはできるか」
と言った。
「救急車?」
「呼んでくれたからもうすぐ来ると思うんだが、俺もいろいろ事情があって病院に行くわけにはいかない。 大事にならないように断ってもらうわけにはいかないか」
直人は呆れて、真剣な表情のアヤセの顔をまじまじと見る。
いったいどういう気なんだ、こいつは。
事情というのはなんなのだ。確かにこいつの病気は20世紀にはないものらしいから、 20世紀の病院なんぞに行っても意味はないだろう。
だいたいこいつらは健康保険証なんかはどうしているのだろう。 この間雨の中で発作が起きた時には救急車で病院に運ばれていたから保険証ぐらいは持っているんだろうが、 30世紀から来た奴らが保険料を払っているとは思えない。偽造でもしているんだろうか。
「なんで俺がそんなことをしなきゃならないんだ」
とりあえずそう答えると、アヤセはあっさり
「そうだな。そりゃ無理だよな」
と頷く。
「悪かった。忘れてくれ」
そう言って離れようとするので
「おい」
と呼び止める。
「どうするつもりだ」
「ん?」
「病院にいくわけにはいかないんだろう」
「ああ。でも大丈夫だ。なんとかする」
「まさかボルランチャーでもぶっ放して救急車から脱走するつもりじゃないだろうな」
片頬で笑って半分冗談のつもりで言ったのだが、アヤセが
「そんなものを使わなくたって、生身でも救急車からぐらい脱走できるだろ」
と答えたのでギョッとする。
「何馬鹿なこと考えてるんだ」
「大丈夫だ。へまはしねえよ。おまえには迷惑はかけない」
そう言って笑ったアヤセの顔は明らかにいつもより青白く、直人は思わず舌打ちをした。
この男はけっこう要領がいいのかもしれない。
助手席にじっと座っているアヤセを横目で見る。
救急車の要請は断った。今、シティーガーディアンズの本部長にはそれぐらいの権限はある。
行きつけの病院まで送るからとその場にいた人々に告げてアヤセを車に乗せた。 トゥモローリサーチまで送ると言っているのに近くの駅まででいいと言うから、近くの駅まで送る途中である。
結局この男の言うとおりに動いてしまったのは、決して救急車を断るのを無理だと言われて意地になったわけではなく、 ふだんよりずっと青白い顔をしているように見えたからだ。今はそうでもない。あの時も光のかげんでそう見えただけかもしれない。
不意に腹立たしくなる。こんな危なっかしい状態のままタイムレンジャーを続けようというのはいったいどういう了見なのだ。
「駅まででいいと言うのはなぜなんだ」
ぼんやり前を見ていたアヤセが、直人のほうに目を向ける。
「事務所まで俺に送られたんじゃ何があったかと、浅見たちに勘ぐられるからか」
「まあ、そんなところだ」
「タイムレンジャーってのはそんな身体で続けられるような仕事とは思えないが、いったいいつまでやってる気なんだ」
「まだ大丈夫だ」
アヤセのその答えに苛立ちを感じる。大丈夫だと判断するのは誰だ。この男が勝手に自分でそう判断してるだけじゃないのか。
「俺にはわからないね。浅見もよくこんな状態のあんたに仕事を続けさせてるもんだ」
「竜也たちは俺の意思を尊重してくれてるだけだから」
「浅見は甘い奴だからな」
「確かにな」
とアヤセは可笑しそうに言う。
「あんたもあんただ。同僚に負担をかけながらあんな仕事を続けててよく平気でいられるな」
学校のクラブ活動でもやってる気でいるんじゃないのか。こんな爆弾を抱えたまま闘うなんてどう考えても無謀で、 俺ならならこんな部下は絶対に戦闘には参加させない。浅見はともかくあのタイムピンクがよく許していると思う。
「でも、発作は緊張してるときには起きないんだ。きょうみたいに気を抜いてるときに起こる」
「そうなのか?」
「嘘だ」
「は?」
「緊張してようが油断してようが、起こるときには起こるし、起きないときには起きない。なあ、おまえならどうする? あと1年か2年の命だと言われたら、おまえはシティーガーディアンズの本部長を続けるのか」
「そんなこと知るか。なってみなきゃわからない。だが俺は引き時は心得てるつもりだ」
話をずらされたと感じていたのに答えてしまった。どうしてこんなところでこの男とこんな話をしているのだろう。
「そうだろうな。俺も引き時は考えるよ」
引き時を知るというのは難しいことなのかもしれない。
直人はずいぶん前に死んだ父親のことを思い出す。
元気な頃はでかくて厳しくて威張っていて、たびたび直人を殴っていた。 それがあっと言う間に病気になり、膨らんだ借金を残してあっという間に小さく弱くなり、 肉体的にも社会的にもすっかり弱くなり、そんな自分自身を受け入れられないまま死んだ。情けないプライドだけは最後まで高かった。
あのとき直人は、自分はこんな惨めな死に方は絶対にしないと決めたのだ。
その気持ちは今も変らない。父のようには絶対にならない。
タイムブルーが自分の父親に似ているわけではない。むしろ全く違うタイプだ。あいつにはこの男ほどの覚悟はなかった。
まったく違うのに、この男を見ていると妙に父親のことを思い出す。
「きょうは助かった。ありがとう」
シートベルトを外して車を降りると、
「おい」
運転席の滝沢に呼び止められる。
「本当に引き時は考えたほうがいいぞ。浅見は甘い奴だから何も言えないかもしれないが、 あんたと一緒にあいつや他のお仲間まで天国行きじゃ、あんたもあいつらも浮かばれない」
アヤセはドアに手をかけたままつい笑ってしまう。 引き時なんて、言われなくてもしょっちゅう考えている。
「おまえはもしかしたらいい奴なのか」
滝沢直人という男が、口は悪いが実際にはいい奴だということは前からわかっている。 弱いものには手を差し伸べる奴なのである。きょう俺を助けてくれたのは、病気のことを知って俺を弱者だと認識したからだろう。
滝沢が竜也にいつも突っかかっているのは、竜也に力があると認めているからだなのだと思う。 育った環境の強さだけじゃなく 竜也自身が持っている強さについて、誰よりも認めているのは実は滝沢なんじゃないだろうか。
滝沢が闘いを挑んでいくのはいつも自分より強い奴ばかりだ。このまま力を求め続けて 望む権力をすべて手に入れて竜也を自分より上だと思わなくなったら、この男ももう少し穏やかに竜也に接するようになるのかもしれない。
俺たちが30世紀に帰った後に、そんな日も来るのかもしれない。
「馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てるように言う滝沢の反応が予想どおりで可笑しい。いい奴だなどと言われたくないらしい。
「じゃあな」
そう言うとアヤセは今度こそ車を離れた。
改札を入るときに振り向いて見たが、滝沢の車はもう見えなかった。
アヤセが困っているところに滝沢が偶然通りかかるという話はこれまで大勢の方によって描かれているので、このシチュエーションで 何を今更という感じもするんですが、そう思いつつも書いてしまいました。樹里が書くとこんな感じになりました。