A DISK
アヤセに遺書めいたディスクを託された。
竜也が強引に私たちを31世紀に返したあの時、もう一度21世紀に戻る、と最初に言ったのはアヤセ。もちろん私も、ドモンやシオンも同じ気持ちだった。 だからあの時戻ったことを後悔はしていない。アヤセだって後悔していないだろう。だけど、その結果一番重い状況を背負うことになったのは、やはりアヤセだ。
彼の病気には治療法がない。発作の回数もその激しさも日々確実に酷くなっている。最悪の日はおそらくもう近くまで来ている。
それなのに、なぜ彼は、あんなに淡々と笑顔さえ見せて自分が死んだ後の話をするんだろう。
竜也がいれば…、と、ときおり思う。
そんなことを思っても意味がないけれど。
竜也がいれば、このディスクを託されていたのは私ではなく竜也だっただろう。竜也なら、このディスクを託されたらどう感じるだろう。 どんなふうに彼の力になろうとするだろう。
アヤセが親や家族に、病気のことを話してないだろうということはうすうす感づいていたが、 両親宛ての遺書めいたディスクを手渡されて自分に何かあったら親に送ってほしいと言われ、私はかなり動揺してしまった。 悲しいのか悔しいのかわからないけどなんだかいたたまれなくて、逃げるように病室を出てきた。
とにかく気持ちを静めようと思って通路の椅子に腰掛けていた。
「ユウリさんですか?」
顔を上げるとシオンが立っていた。
「どうかしましたか?アヤセさんが?」
私の顔を見て、不安そうな面持ちになる。
「どうもしないわよ。アヤセはあいかわらずよ。けっこう元気そう」
シオンはすぐに安心した様子で、
「そうですか。それならユウリさん、久しぶりにご飯でも一緒にどうですか?」
そう言って私の顔を覗き込んだ。
「ドモンさんも誘って見ましょうか」
「いいけど、あなたアヤセのところに来たんじゃないの?会いに行かなくていいの?」
「けっこう元気ならそれでいいんです。つい来ちゃうんですけど、あんまりしょっちゅう来るとうるさがられちゃうんです」
シオンはいつものように、にっこり微笑んだ。
「おまえなあ、ほんとに仏頂面なのな」
久しぶりに会ったドモンはため息混じりに言った。
「アヤセの病室にだって、来る女っていったらおまえぐらいしかいないんだから、もうちょっと笑顔を見せるとかさ、なんとかなんないの。 そうすれば少しは気分も和むってもんだろ」
なにを言っているんだ。この男は。
「おかしくもないのに何を笑うのよ。だいたい私が愛想ふりまいたら、アヤセだって驚くだけでしょ」
私の言葉にシオンが頷く。
「そうですよ。かえって心配しちゃいますよ」
「まあな、そりゃそうだな」
ドモンもあっけなく簡単に同意する。ふたりともそんなにすぐに納得することはないんじゃないかと思う。
そんなに私は笑っていないだろうか。
「それに、セキュリティが厳しいから病室には来ないけど、家には女の人が何人も来ちゃって、ちょっと困ってるんですよ」
アヤセと共同生活をしているシオンが言う。
「あっ、困ってるのはアヤセさんで、僕は困ってないんですけど」
「なんだよ。そんなに女がいるのかよ」
「いいえ、そういうわけじゃなくて、ちょっと知ってるだけの人とか、よく知らない人まで来るんです。 電話もいっぱいかかってくるから、アヤセさん、最近電話に出ないようにしてるんで、それで家に来るんだと思うんですけど」
「はあ。もてもてだね」
「前に、アヤセさんが留守のときに僕が家に帰ったら、下で待ってる女の人がいたんです。僕が一緒に住んでること知ってたみたいで声かけられて、 アヤセさんの昔の恋人だって言うから家に入って待ってもらったんですよ。だって家に人が来るのって楽しいですし」
「へえ。それで美人だったか?」
「ええ、きれいな人でした」
「おまえのきれいもあてになんねえからな」
あてにならないと思っているのに、なぜわざわざ聞くのだ。ドモンの言うことは時々私には理解できない。
「でも、アヤセさんが帰ってきてすぐに、本当にすぐにその人を送って行って。僕、あとで怒られちゃいました。勝手に入れるなって」
「送って行って、それでその日は帰って来なかったか?」
「いえ、5分ぐらいでアヤセさんだけ帰ってきましたよ」
ドモンは露骨になんだ、という顔をした。
「それ以来、誰か来てもインターホンで断って、家までは来ないようにしてもらってるんです」
「で、ほかには?」
「ちょっと、いいかげんにしなさいよ。本人のいないところで」
ドモンがあまりにも興味津々の様子だったので、口をはさんだ。
「まあ、いいじゃん。それで、ほかには?」
シオンはちょっと私のほうを伺うような表情で、
「いえ、特にこれといった話は…。あ」
言いかけて、突然、大声をあげた。
「一度だけ僕も困ったことがあるんです。時間保護局に勤めてるっていう女の人が来たことがあるんですよ」
「え、だれだよ、それは」
「僕の知らない人です。僕がインターホンに出て帰ってもらったんですけど、その人、なんだか僕とアヤセさんがつき合ってるって疑ってるみたいで」
「はあっ?おまえとアヤセが?」
ドモンが素っ頓狂な声を上げた。
「そうなのか?」
「何言ってるんですか。そんなことあるわけないじゃないですか。アヤセさんは、ほっとけって、勝手に思わせとけって言うんですよ。 でもそんなふうに誤解されたら困るじゃないですか。困りますよねえ」
同意を求められて、私は、そうねえ、と、あいまいに頷く。
「だから僕、その人を追いかけて、誤解だってちゃんと話して、それでわかってもらいました」
シオンはその時のことを思い出したのか、ほっとした顔をした。
ドモンは、にやにやしながら、シオンを見ていたが、
「シオン、おまえ、好きな子いるだろ」
と言った。
「好きな子がいるから、誤解されたくなかったんだろ」
「そうか。なるほど」
私は妙に感心する。それであんなにむきになったのか。
「で、どういう子なのかな」
「え、それは別に…」
どうやら図星のようで、シオンは言葉を濁す。
恋愛のことになると本当にドモンは勘がいい。私はこういうことはほとんど気づかない。自分が鈍いらしいことはとっくに承知している。
それにしても、アヤセがこれまでに関わった女性のこともみんな拒否しているのだと初めて知った。
彼はずっと病気のことを隠してきたけれど、さすがに最近のように何度も倒れていては隠しようがない。 病気のことをどこかで知った人々が訪ねてくるのは、力になりたいからかもしれないし、お別れを言いたいからかもしれない。
病室はセキュリティが厳しくて、許可なしで入室できるのは、あらかじめ網膜登録した人物だけだ。今、網膜登録しているのはドモンとシオンと私だけだと思う。 女性に限らず、昔の友達とか知り合いとか、訪れる人はいると思うけれど、私たち以外は前もって申請してアヤセ自身の許可を得てからでなければ入れない。
家族だけでなくすべての人を拒否している。そんなふうにも思える。
その中で、私たちのことは少しは受け入れているということなのかもしれない。彼に心を許されているとは、少なくとも今日までは私は思えなかったけれど。
アヤセは、とにかくまったく弱音を吐かない。人に甘えない態度は頑なと言ってもいいほどで、これまで私に何かを頼むということもなかった。 もっと頼ってほしかったし、何か力になれないかとずっと思ってきた。
そんな彼に初めて頼まれた。
当然、聞き入れたい。
だけど、それが、アヤセの遺書とも言えるこのディスクを家族に送ることだなんて。
おとうさんが殺されて、おかあさんが殺されて、メイも殺されて、どうしていいかわからなかったあの頃の私とは事情は違うけれど、 死んだと突然知らされるアヤセの父親や母親や妹たちの気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
だからこそディスクを残すのだ、と彼は言うだろう。何も言わず消えてしまうわけではない、と。<
捜査の過程で、私と同じように身内を突然失った人の悲しみを目にすることがある。その時はただ茫然と、あるいはただ泣き叫ぶ人たち。 彼らの悲しみは、それからずっと消えることはないのだ。表面的には消えるように見えても、身体の奥のほうにずっと残り続ける。 それがわかるせいか、そういった人たちと接することに慣れることができない。
ふと気づくと、シオンに見つめられていた。
「なによ」
「ユウリさんは、最近アヤセさんが入院してるときしか会っていませんよね」
そう言われればそうかもしれない。
「だから心配になるんだと思うんです。具合が悪いときしか見てないから。ふだんのアヤセさんは前と変わっていませんよ」
「そうそう、あいかわらず口も悪いしな」
ドモンも同意する。
それが怖いのだ。ふだんと変わらずに生活していて、ある時、突然心臓が止まってしまう。そういう病気だから。
もちろんそんなことはドモンもシオンも知っていて、あえて表に出さないだけである。不安なのはみな同じだ。
「別に特別な心配はしてないわよ」
実際、アヤセを心配しているわけではなく、私は彼の家族を心配している。
そしておそらく、それ以上に自分のことを心配しているのだと思う。
それまで元気だったおとうさんとおかあさんとメイが突然死んだ。あの時のような思いをまた味わうとしたら、そして同じように悲しむ彼の肉親を目にしたら、 今度は私は耐えられるだろうか。
「心配事があるときは、僕に相談してください」
シオンにこんなことまで言われてしまうなんて、よっぽど滅入った顔をしているってことなのか。
「わかった。そういう時には相談させてもらうわ」
とりあえずそう答えておいた。
プライベートで気になることがある時こそ仕事は完璧にやり遂げたい。そう思う気持ちが強すぎて空回りするのか、 それともうまくいかないことというのは続けざまにやって来るせいなのか、案の定、仕事で無駄な失敗をしてしまった。
絶対にここに潜んでいると睨んだ相手に逃げられて、早朝から夜までさんざん捜し回った挙句、結局見つからなかった。 踏み込むのを読まれていたのはどう考えても私のミスだった。
「まあ、こんな時もあるよ」
一緒に走り回った上司は、やれやれ、という顔で笑いながら、
「今日はもう解散だな。お互い、帰って休もう。おまえも今日のことは忘れて、さっさと寝て明日に備えろ」
そう言って帰って行った。
確かに身体はとても疲れている。足が痛いことに気がついて靴を脱いでみたら足首に紫色の痣ができていた。 夢中で走り回っていたから、いつできたのか全く覚えていない。<
こんなときは気分転換でもして、さっさと眠っちゃうのがいいとわかっているが、気分転換というのは難しい。 今日のような悔しい気持ちを抱いたままでは頭の芯が興奮していて疲れていても眠れないのはわかっている。
21世紀ではロンダーズを追いかけて、今日よりずっと大変な経験もたくさんしたけれど、あの頃、今日のような変な疲れ方をしたという記憶はあまりない。
あの時は仲間がいたからか…、と思う。あの人たちとのわけのわからないやりとりの中で自然に疲れが癒されていた。 ほんと、あのメンバーとの共同生活は無茶苦茶だった。思い出すとおかしくて、自然に笑みがこぼれる。
今も同僚は大勢いて、一緒に頑張っていると感じることもあるけれど、タイムレンジャーのメンバーとの関わり方とは全く違う。まあ、それは当然のことだ。
21世紀と違って今の乗用車は完全な自動操縦だから、駐車場に泊めてある自分の車に乗れば目を瞑っていても家まで連れて帰ってくれるのだが、 まだそんな気にもなれず、駐車場ビルの窓から外の様子を眺めてみる。
ビルのすぐ下が公園になっていて、緑の木々が照明に照らされていた。大きな公園の数は21世紀よりもむしろこの時代のほうが多い。 人間にとって緑がどれほど大事なものかが科学的に明らかになっている今、意識的に公園のようなものは増やされている。
夜遅い時間であるにもかかわらずゆっくり散歩をする人々や、ジョギングをする人々が見える。 その様子はいかにも平和的で、さっきまで犯人を追っていた私の住む殺伐とした世界とはまったく違うものに見えた。
その時、私は見てしまった。
ゆっくりしたペースでひとりの若い男性が走っている。赤みがかったちょっと長めの髪を揺らして、見覚えのある細身の背格好は間違いない。
アヤセ…。どうして…。
そういえばここはアヤセとシオンの家のすぐ近くだ。ここを走っていても不思議ではない。
だけど、まだ病院にいると思っていた。いつ退院したのだろう。もう走れるほどに体力が戻っているんだろうか。
アヤセは、進行方向から走ってくる初老の男性に会釈をした。顔見知りなのだろう。歩調を緩めて一言二言、何か言葉を交わす。そしてまた走り始める。
私は思わずシオンに電話していた。
「え?もう走ってるんですか。相変わらずですね」
今、研究所から帰る途中だというシオンは、私の突然の電話にも驚く様子はなかった。
「きのう退院して、きょうから仕事に行ってるんです。今朝は、きょう一日は走るのは止めとくって、言ってたんですけど」
「……」
なんと言葉を返していいのかわからなかった。退院した翌日からもう走っているなんて。彼の気持ちをどう思えばいいのか。
「走ってるの、きつそうに見えますか?」
「そんなことはないけど…。うん。しっかりしてるように見える」
実際、彼の足取りはしっかりしていて、きのう退院したばかりの人には見えない。だけど、私にはそのしっかりした足取りさえもなぜか痛々しく見えてしまう。
「それなら大丈夫ですよ。アヤセさんの身体のことはアヤセさんが一番よくわかってますから。入院すると凄く体力落ちちゃうみたいなんですよ。 だから最初は歩くことから始めて、それから走って、徐々に筋力トレーニングも増やしていってるんです」
シオンはいつもと変わらない調子でさらっと話す。
アヤセと一緒に暮らしているシオンがこんなふうに淡々と話せるようになるまでに、いったいどれほどの思いがあったのかと思う。 ひとりでアヤセを送り出してまた無事に帰って来るのを待ちながら、シオンはどれほどの心配をして、そしてどんなふうに自分を納得させていったんだろう。 私には想像することしかできない。
「疲れてるときは走る量減らしたり、調節してるって、いちおうご本人は話してますから心配しないでください」
シオンは、いちおう、というところを強調して、ちょっと笑いながら言う。自分で言っておきながらそんなこと信じていないんだろう。 私もつられて思わず苦笑してしまう。
「ユウリさん、何笑ってるんですか」
「笑ってるのはシオンのほうでしょ」
減らしたり調節したりなんてできるわけないのだ。きのうできたことを今日諦めるなんてできない。きのうより今日、今日より明日。 私がそういうタイプだからわかる。アヤセもおそらくそう。こういう所は私と彼は妙に似ているから。
もちろん退院してきたばかりの頃は、以前に比べれば減らさざるを得ない。だからこそ、それ以後は少しでも早く取り戻したいはず。 メニューを増やしこそすれ減らせるわけない。
無理なんてしてるに決まっている。だけど、無理する以外に何をしろと言うのだ。
「僕は、アヤセさんは死ぬつもりなんてないんだと思うんです。生きるつもりだから頑張っているんだと思うんです」
シオンは、これまでに何度もこの言葉を自分に言い聞かせてきたに違いない。確かに彼の言うとおりかもしれない。
電話を切った後、公園を見ても、もうアヤセの姿は見えなかった。
「死ぬと決まったわけでもない」
私にあのディスクを渡した時アヤセはそう言った。あれは本心だったのだろう。
私に遺書とも言えるディスクを託し、その一方でなお生きようとしている。どちらも彼にとっては本当の気持ちなのだと思う。
それなら私にできることは一つしかないよ。
あのディスクを確かに預かろう。彼の家族の悲しみを私がどの程度受け止められるかわからないけれど、できるだけのことはしよう。
死ぬための準備は私が引き受ける。アヤセには生きるために力を尽くしてほしい。
結局それしか思いつかない。迷っている時間も、落ち込んでいる時間も、たぶんもうない。
私はようやく窓のそばから離れ、駐車場に向かうエレベーターのボタンを押した。もうすっかり夜が更けている。下の公園にも人影はほとんどなくなっていた。