鼓動を受け継いで
僕は緊張している。
そうシオンは思った。
ふだん滅多に緊張することなんてないから、自分がこんなふうになるのが不思議だ。
心臓の鼓動が聞こえるような気がする。
海の見えるベンチに座ったシオンは、深呼吸して海の香りを胸に吸い込んだ。
ここは故郷だ。
20世紀にいた頃、ここが故郷なのだと決めた。
ドミーロがこの海岸を汚染したのはシオンの感覚ではほんの数年前の出来事のような気がするが、 実際はあれから1000年の時が流れた。
1000年も時がたてば風景というのは変わるもので、 20世紀にいた頃に来たことがあるはずの場所も、31世紀にもなればまったく違う景色に変化している。
素朴な海岸は、今では見違えるように美しく整備された海の見える公園になった。
あの時植えた木はもうとっくにその命を終えている。
だが、まったく違うように見えても変わらないものもある。
もう何度もこの公園を訪れているシオンは、すっかりこの場所に親しみを覚えている。
僕と同じように、この場所を好きになってくれるだろうか?
「シオン」
不意に呼びかけられて、振り返った。
「アヤセさん!」
意外な姿に驚いて、シオンはベンチから立ち上がった。
「どうしたんですか」
「どうしたって、走ってる……」
アヤセの額にはうっすら汗が滲んでいた。
「こんな遠くまで走ってくるんですか」
アヤセが毎日走ってることは知っているが、ここは彼の家からずいぶん離れた場所だった。
「そりゃ、きつすぎだろ。車を向こうに置いてあるよ」
「あ、そうですよね」
「おまえこそ何してるんだ」
「ちょっと故郷に」
「……」
アヤセが解せない顔をしているのも無理はない。
「ここは僕の故郷ですよ」
シオンは微笑んだ。
「僕が植えた木も立花さんが植えた木ももう残ってませんけど」
アヤセは額の汗をタオルで拭いながら、周りを見渡して、ああ、そうか、と頷いた。
「そういえば地図の上ではこの辺だったな」
「はい」
「ずいぶん変わったな」
「はい」
だけど、変わらないものもある。
シオンがそう言おうとすると、 アヤセは、シオンを見てちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「だけど、海の匂いは変わらないな」
「はい!!」
それこそがシオンの感じたことだった。
初めてこの公園に来た時、あまりの変わりように驚いた。 20世紀で植えた木がなくなっていることに気づいて淋しくなった。 故郷がなくなる、ってこういうことなのかな、と思った。
だけど、その時強い風と共に潮の香りがして、唐突にあの時を思い出したのだ。
ここは確かに本当に僕の故郷なのだ、と感じた。
「1000年の間、立花さんのような人たちが、この場所を守ってくれたんだと思います」
「そうかもな」
シオンとアヤセは少しの間、黙ったまま海を見ていた。
「じゃあ、俺はそろそろ行くから」
そう言ってアヤセは再び走り出そうとするので、
「あの!」
つい、大きな声を上げた。
「アヤセさん! 僕、紹介したい人がいるんです」
アヤセは走るのをやめてシオンを見た。
「あの、もうすぐここに来ると思うんで」
そう言ってシオンは周りを見渡したが、まだその人がここに来る気配はなかった。
「今度な」
「え……」
シオンが慌てて振り返ると、アヤセはちょっと笑ってるように見えた。
「今度紹介してもらうよ」
こんなアヤセの表情を前にも見たことがあるような気がした。
「ここで会うのは初めてなのか」
「え……、はい」
「ここを好きになってくれるといいな」
「……はい」
誰に会うのか言ってないのに。
どうしてわかったんだろう。
「じゃあ、またな」
アヤセは背を向けた。
「はい、あの、さようなら!」
一度振り返って、かすかに笑顔を見せて去って行った。
その笑顔を見て唐突に思い出した。
あれはホナミさんがドモンさんをタイムイエローだと知った日だ。
あの時アヤセさんは今と同じ表情をしたのだ。
あ、そうか。
もしかしたら今の僕の気持ちは、ホナミさんと知り合った頃のドモンさんに通じるものがある のかもしれない。
あの頃の僕には想像ができなかったけど、ドモンさんも、ホナミさんに自分の故郷を見せたり、家族を紹介したり したかったんじゃないだろうか。
立花さんが、奥さんが好きだったこの場所を故郷にした気持ちも今は少しわかるような気がする。
1000年前と変わらないものは、潮の香りだけじゃない。
そんなことを考えていたので、自分に近づいて来る人がいるのに、すぐには気づかなかった。
「シオン」
柔らかな声で名前を呼ばれて、はっとしてシオンは目を上げた。