10.お魚天国
「おじさん、こんにちは!修理出来ました」
「おお、シオンくん、やっぱり今日来てくれたか。よかった、よかった」
修理の下請けをさせてくれる、トゥモローリサーチにとっては大のお得意さんである電機店のおじさんの言葉に、 シオンは明後日だったビデオデッキの修理の期限が早まったのかと思った。
「あの、連絡いただければ、昨日持ってきてもよかったくらいですよ。遠慮しないで言って下さいよ、おじさん」
「いやいや、そっちのことじゃないんだ。ただでさえ仕事の早いシオンくんを急かすなんてしないよ。実は、これ、 もらってもらおうと思ってね」
おじさんはカウンターの下にあった発泡スチロールの箱をレジの横に置き、ごらん、とばかりに蓋を開けた。
中には赤く艶やかな固まりがラップにくるまれ、細かく砕いた氷に埋もれていた。一見牛肉のようにも見えたが、 先細りしている部分があるということは、とても大きな魚の一部だ。
「わぁ。どうしたんですか、これ」
「末の息子がね、半年前に嫁をもらったんだよ。嫁の実家がある地方じゃ、嫁ぎ先にブリを贈る風習があるとかでね」
「へぇ〜」
「今日届いて、魚屋にさばいてもらったばかりなんだ。すごく大きかったんだよ。息子夫婦たちと分けても、 ばあさんとふたりじゃ食べきれないくらいあるから。シオンくんに、お裾分けだ」
おじさんは説明しながら丁寧に蓋を閉め、発泡スチロールの箱ごとシオンに差し出した。
「うわぁ、ありがとうございます〜!」
「うまそ〜。でかしたぞ!シオン!」
ビラ配りから戻って来たドモンは、事務所のデスクの上に置かれた発砲スチロールの箱の中身についての説明を聞くやいなや、 シオンの頭を抱えて髪をくしゃくしゃと撫でた。
「新鮮なうちに、刺身だな」
何気なく言った言葉に、さっきまでモメていたような竜也とユウリが即座に反応する。
「な〜。ドモンもそう思うだろー?」
「だめよ。冷凍するなりして、明日以降に回すの!今日のおかずはもう決まっているんだから」
ユウリの「決まっている」に、ドモンは頭を掻いた。
「んだよ。また、もやしだろ。スープの他にもレパートリーが広がったかなんか知らねえが、おまえ、 同じものにこだわり過ぎだっての。それこそ明日に回せよ」
「何、言うのよ。もやしは足が早いのよ、すぐ使わなきゃ」
「え、秒速何メートルですか?」
「シオン〜、腐りやすいってことだよ」
件の箱を囲んでわいわいやっていたところへ、アヤセもひと仕事終えて帰って来た。
「ただい・・・何、騒いでるんだ?」
「あ、アヤセさん」
シオンはアヤセも喜んでくれるだろうと期待し、先ずはお得意さんからブリをもらったいきさつを話した。
「そりゃ、すごいな。どれどれ。・・・へぇ、かなり上物じゃないか?新鮮なうちに、刺身にするか」
「「な〜。アヤセもそう思うだろー?」」
「もう、アヤセまで!冷凍して後に回すの!」
なるほど、騒ぎの内容はこれか、とアヤセは鼻先でフッと苦笑したが、早くケリを付けて夕飯にありつきたいドモンには、 いつもなら因縁を付けたくなるようなその表情を見る余裕すらない。
「あ〜も〜、もやしも使えよ。スープでもなんでも。一品増やせばいいことだからな」
「取っておけばそれだけ食費が浮くでしょう!」
特に主張はせずとも「刺身」と聞く度に目を輝かせるシオンを頭数に入れると、完璧に4対1だ。トゥモローリサーチの台所事情を 考えると自分のほうが正しいはずだと譲らないユウリも、分が悪くなっていることに気付いている。
「まぁ、まぁ、ユウリ」
1対1だった時より余裕をかまして、竜也が取りなす。
「今日だけで食べきるわけじゃないんだし。こんなにあるんだからさ、まずは切り身を五枚分取って、 その残りを刺身にしちゃおう。切り身は醤油だれに漬け込んでおいて、明日、照焼きにすればいいよ。冷凍にするよりおいしいって」
「・・・」
かくして、その日の夕飯には、竜也がそれなりに切った刺身と、ユウリの指の跡が残る少し変わった形の刺身が加わった。
翌日の昼過ぎ、シオンは朝早く出掛けた出張修理の仕事帰りに、少し足を延ばしておじさんの電機店に寄った。ただただ、 昨日食べた刺身がおいしかったことを伝えたかったのだが、カウンターにいるおじさんは電話中だったので、 声をかけるのを後回しにして何気なく店内の奥にあるジャンク品を見て回る。
「・・・だから、そういうのは、気遣いとは違うだろう。返さなきゃならないものなら、最初からそう言ってくれなきゃ」
おじさんの声が、さっきよりも大きくなった。少し困っているようにも聞こえる。
「いいよ、もう済んだことは。とにかく同じ大きさのブリを買うよ。それで返せばいいじゃないか。・・・手に入るかどうかって、 近所の魚屋を当たってみないとわからんだろう。・・・ああ、ああ。そりゃ値が張るだろうが。・・・気にしなくてもいいと言って おきなさい。別に、怒っているわけじゃないんだから」
同じ大きさのブリ?買って返す?あ。まさか、お嫁さんの家からもらったブリって、食べちゃいけなかったのかな!?
シオンは、電話を切って溜め息をついたおじさんに、こんにちはを言うのも忘れて駆け寄った。
「ごめんなさい、おじさん!僕たち、刺身にして食べちゃいました!」
「ぉお?シオンくん」
「あの、醤油のたれに漬けてあるのが残ってるんですけど・・・」
言い訳でもするように控えめな声で続けたシオンに、おじさんは、ははっと笑った。
「ああ、聞こえちゃったのか。いやいや、いいんだよ。おいしかっただろう?」
「ぁ、はい・・・」
いつもは元気よく「はい」と答えるシオンが口籠っている。おじさんは頭を掻いた。
「いや、ね。実は、息子の嫁の実家から贈られたブリはね、半身返しとか言って、さばいた後、 半分を送り返すのが習わしなんだそうだ。最初にそう言ってこっちに寄越してくれればいいのに、 贈ったものを半分返せとは言いにくかったらしくて。息子がそれを嫁から聞いて、慌てて電話をしてきたってわけさ」
「半分、ですか・・・。切り身五枚じゃ、全然足りないですね・・・」
今晩の照焼きを楽しみにしているドモンの顔がちらちら浮かんだが、それだけでもおじさんに返そうと、シオンは本気で考えた。
「ははは、いいんだよ、シオンくん。シオンくんの喜ぶ顔が見たくてお裾分けしたようなものなのに、かえって気まずい 思いさせちゃったかな。ブリは別のを買って返すから気にしなくていいんだよ」
内心、喜ぶ顔が見たくて、と言われたことが何だか嬉しくて頭の中で反芻してみたが、今はそれどころではない。
「でも、おじさん、値が張るだろうって・・・」
「まあ、ね。地元に比べれば、かなりするだろうね」
「地元・・・。あ、おじさん!お嫁さんの地元って、どこですか?!僕、僕にいい考えがあります!僕に任せてください!」
夕方、トゥモローリサーチのキッチンでは、昨日に続き竜也とユウリが夕飯の支度をしていた。
サラダ用の野菜をコトンコトン切っていたユウリが、ブリの切り身を焼く竜也の手元にふと目を留める。竜也はカレースプーンを使い、 フライパンの中の醤油だれをすくっては切り身の上に掛けていた。
「ただ焼いて、ひっくり返せばいいと思ってたけど。けっこう手がかかるのね」
「ん、まあね。それだけでもいいんだろうけど、こうするともっと味が染み込むとか照りが綺麗になるとかいうしさ。 俺も見よう見まねだけどね。やってみる?」
竜也はフライパンの上でスプーンを軽く振って雫を落とし、ユウリにスプーンの柄を向ける。
「・・・ええ」
ユウリこそ竜也の見よう見まねで、ぷつぷつ泡立つ醤油だれをすくって掛けてみた。
「そうそう、身の全体に行き渡るようにして」
竜也のアドバイス通りに繰り返し掛けていると、自分がとても料理上手になった気がしてくる。いや実際、ひと昔前に比べると ずいぶん上手くなったと思う。
そう、料理って、きっとこういうひと手間で違ってくるものなのよね・・・。
かすかに微笑みを浮かべるユウリを、竜也は「へへ」と声さえ出しそうな笑顔で眺め、 「じゃ、俺、サラダのほうやるね」 と、野菜をトントン切り始めた。
キッチンから時々漏れてくる話声や物音を何気なく聞きながら、アヤセはソファに座って、慌ただしかった今朝には読めなかった 新聞を読んでいた。
ほとんど毎朝一番に新聞を開き、大きな事件があれば見出しを読み上げる竜也も、ロンダーズを臭わせる事件をチェックするユウリも、 今朝は静かに目を通していただけに大した事件はない。もっとも、当人たちにとってはさぞかし大したことであろう事件の記事が 詰め込まれてはいるが。
しばらくの間、穏やかでそれなりに心地のいい時間が流れていた。しかし、それはついに、勢い良くドアが開く音で終わりを告げた。
「はぁ〜っ、まいった、まいった」
聞いてくれといわんばかりの声を上げつつドカドカと音をたてて帰って来たドモンは、そのままテレビの電源を入れながらも 見るわけでなく、アヤセの向かいにどっかり座って身振り手振りを織り交ぜながら話し出した。
「ビラ配ってたらな、こぇ〜顔したオバサンがよ、あなたっ!ゴミ配ってるのがわかんないのっ!とか言いやんの。 まあ、読まずに捨ててく奴もいるけどな、ゴミ配ってるはねぇだろよ。ゴミ配ってるってのはよ。それがよ、そのオバサン、 大家さんにそっくりでよ、姉ちゃんか妹かってくらいで・・・って、みんなは?」
やっと俺しかいないことに気付いたのかよ、と思いっきり顔で表現し、アヤセは答える。
「竜也とユウリはキッチン。シオンはまだ帰ってない。私用らしいが、ユウリにタイムフライヤーを借りると言って出掛けたって いうから、けっこう遠くまで・・・」
「タイムフライヤーぁ?私用でか?ユウリの奴、シオンには許可したのかよ」
「私用といっても、お得意さんの為にひと肌脱ぐとかだ。おまえの私用とは違うだろ。ロンダーズが出たらすぐ戻るとも 言ってたらしいしな」
「俺ん時は、理由さえ聞かなかったぞ、ユウリは」
「聞かなくても、だいたいわかるからな」
これでこの話は打ち切り、とばかりにアヤセは読みかけの新聞を音を立てて持ち替え、ドモンとの仕切りを作った。
「んだよー。おっ」
文句を続けようとしたドモンだったが、その時、ドアを背中でゆっくり開くシオンの姿が目に入った。両手で重そうな荷物を 抱えている。昨日と同じような、というよりかなり大きい発泡スチロールの箱だ。
「んしょ。ただいまぁー!」
「なんだー?シオン、そりゃ」
「ぇへへ。見て下さい!」
「おわ〜っ!?」
夕食のブリの照焼きと野菜サラダ、そして急遽メニューに加わったイカと甘エビとフクラギの刺身をつつきながら、 シオンは今日の出来事を語った。仲間たちを驚かせた土産−パック入りの数種類の刺身に、 ブリの切り身とアラ(ブリ大根がおいしい)、切り身のサケ(バターを使ってソテーかムニエル)ぶつ切りのタラ(タラ汁・鍋物)そして 他にも、数匹のカマス(塩焼き)カレイ(煮付け。小さめなら唐揚げもいいかも)小アジ(唐揚げ)まるごとの イカ(里芋や茄子と一緒に煮る。冷めたのもおいしい)などなど−を持って来たいきさつに辿りつくまでにはしばらく かかるのだが。
・・・僕、お得意さんからそれを聞いて、じゃあ、お嫁さんの地元に行ってブリを捕まえてこようと思ったんです。できるだけ お金がかからないように。
でも、釣りの道具ってけっこう高いんですよね。それに、店員さんから、今日始めて釣り竿を買うような人にブリなんて釣れないよ、 一匹欲しいだけならやっぱり買ったほうがいいよって言われました。
だから、釣れるところから一番近いところに行けば一番安く買えると思って、親切なお巡りさんに教えてもらったのが、 僕、全然知らなかったんですけど、ちょっとは有名らしいって漁港で。
あ、ええ。もちろん、タイムフライヤーに乗り降りする時は誰にも見られないように注意しましたよ。チェンジだってしてますしね。
行ってみたらそこで、漁師のおじさんに会ったんです。少し荒っぽい感じがするんですけど、怖いっていうんじゃなくて、 うーん、言っている言葉もちょっとわからないところもあったんですけど、おもしろい人でした。
ブリを買いに来たんですけど、って言ったら、笑われました。朝早く、まだ明るくならない時間にセリというのがあるらしいんですが、 そんなのとっくに終わっちゃってるよ、って。
どこにあるのか聞いたら、また大笑いされちゃいました。そうですよね、魚は魚屋さんにあるに決まってますもんね。
はい、そうです、このお土産はその漁師のおじさんがくれたんです。
安くしてくれる魚屋さんに連れて行ってもらう途中で、おじさんが持っている船が動かなくなっちゃってて修理しないと漁にも 出られないから困ってる、なんて話を聞いたんです。修理屋さんも忙しいらしくて、 頼んでもなかなか順番が回ってこないんだそうですよ。
ええ、だから、僕、修理してあげたんです。最初は僕が修理しますって言っても全然信じてくれなかったんですけどね。エンジンを ちょっといじったら簡単に直りました。おじさん、すごく喜んでくれて・・・
時折、仲間たちの相槌や簡単な質問を受けながら説明していたシオンは、残り少なくなった甘エビの刺身に箸を延ばす。
ドモンもひょいと尻尾の方を摘まみ上げて、小皿の中の醤油にちょんと付け、 「つまり、これは修理の礼ってわけだ」 と身をちゅるんと吸った。
「はい。僕、買いたかったのはブリ一匹だけですって言っても、いいからいいからって、たくさんくれたんです。お得意さんにも 分けてあげたくらいです」
ユウリはふと、シオンだって言ってみれば修理屋なのだから、謝礼ならこんな現物支給でなく現金でもらえば良かったのに、と 思った。しかし、依頼されて受けた仕事でもないのだからと思い直した。それに、冷凍に不向きで早めに食べなければならない魚も あったものの、ある程度の食材のストックができたのだし、この和やかな食事風景を壊すことをわざわざ指摘する必要もないだろうと、 黙って海の幸を味わった。
「そこの方言では、魚が新鮮なことを、キトキトって言うんですって。野菜とかは新鮮でもキトキトのトマト、なんて使い方は しないけど、魚だとキトキトなんですよ」
「「「へぇ〜」」」
「あ、夜、全然眠そうじゃない小さな子どもにも言ったりするそうです。キトキトの目をしてるぞ、っていうふうに」
「はは、まんま、おまえのことじゃんか」
「ぇへへ・・・」
何気ないドモンのツッコミに、始終笑顔だったシオンはさらに嬉しそうな様子で肩をすくめた。
−END−
ブリがどうのこうの、というのは、私の住んでいる地方での風習です。(全域で継承されているのかどうかはわかりませんが)
「娘が他県に嫁いだ場合は、ちゃんと説明するか風習にはこだわらないかのどちらかにしましょうよ」と言いたくなるようなケースも 聞いたことがあるので、それをネタにしちゃいました。
って、実は『タイムレンジャー』に、田舎なネタをちょっと絡ませてみたかったんです〜。
(樹里より)
うわーい。IKUKOさん、ありがとうございます!
おいしそうだなあ。シオンがシオンらしく大活躍してくれたおかげで、トゥモローリサーチのみんなも豊かな食事にありつけて よかったです〜。
東北出身の私は、大人になるまでブリを食べたことがありませんでした。 昔は東北ではブリにお目にかかる機会は滅多になかったんですよ。あ、今は普通に売ってますよ。年齢がバレるな(笑)。
9.樹里の「留守番」へ
10.はつきさんの「憂鬱な食卓」へ
食事部屋へ