さまよい続ける(10)

 

自分から喧嘩を売るような真似をして殴って殴って殴られて殴られて、そんなことをやっている間は忘れていられる気がしたのだ。
しかしそんなことで忘れられるわけはない。殴られて半ば気が遠くなっていても、いつも頭の片隅から離れない。
女を誘って、もしくは誘われて、快楽に溺れている間は忘れていられるような気がしたのだ。
そんなことでも忘れられるわけはなかった。抱き合って抱き合って、もういい加減にしてくれと女に頬を張られるまで快楽を求めていても、いつも頭の片隅から離れない。
そんな状態でも自分から死ぬことだけはできないと思った。病気を苦にして自殺したなどと言われるのは耐えられなかった。
可笑しい。あんな状態でも見栄っ張りなところは変わらなかった。もうどうなってもいいと思っていたのに死んだ後にどう思われるかは気になったのだ。

マリアは最初からはっきりしていた。
……セックスをするのが好き。
それだけだ。だから楽だった。それだけを求めていた。お互いに余計なことは言わなかったし、聞かなかった。
だから楽だった。

発作を起こしているのを見られた。
あの頃はまだ俺も発作に慣れていなかったから、予兆はあったのにマリアの家の側まで行ってしまった。車の中でじっとして、それが通り過ぎるのを待っていればそれで済んだのに、予兆を感じながら家の側まで行ってしまって動けなくなった。
それでも、あの時マリアが家から出て来なければ見つかることもなかったのに、偶然マリアは出てきた。あの時マリアは何のために家から出てきたんだろう。
……アヤセ。
蹲る俺の脇に屈みこんだマリアに心配そうな顔で覗き込まれた。大丈夫だ、と言おうとしたが言葉にはならなかった。もうマリアとは終わりだ。激しい痛みの中でそう思った。

……驚かせて悪かったな。
マリアは黙って首を横に振って、背中から手を離した。
背中を摩っていてくれていたのだと初めて気づいた。早々にそこを立ち去りたかったが、すぐには歩けそうになかった。あと2、3分たてば車まで歩いて行けると思ったが、その2、3分が長い。
……部屋まで歩ける?
マリアに聞かれて、
……きょうはもうそんな気分じゃない。帰る。
と答えると、マリアは少し笑って
……したいって言ってるんじゃなくて、少し休んで行けばって言ってるの。
そう言われても断って自分の車へ戻ればよかったのだ。それなのにマリアの言葉に従って家へ上がりこんでしまった。
マリアのベッドの中で初めて何もせずに眠ってしまったのは、やはり甘えていたのだと思う。

……オシリスなんだね。
目覚めた時にマリアは窓の外を見ていた。
あの状態を見てすぐにオシリス症候群だとわかったのは、身近に同じ病気の人間がいたのかもしれない。
起き上がってベッドに腰をかけた。
……悪かった。
マリアは振り返って俺を見た。
……一緒にいる時に死んじゃったら、誰に引き取りに来て欲しい?
今思い出してもあの質問には驚く。あんなことを聞きかれたのは、後にも先にもあの時だけだ。
何と答えればいいのか、言葉に詰まった。
まだ死なない。すぐには死なない。だが遠からずその日は来るのだ。
その時に誰に自分の死体を引き取って欲しいのか。改めて考えると答えられない。そんなことをしてほしい人はいない。
レースの世界の人間としか付き合いがなかった。車にしか興味がなかった。他のことに費やす時間が惜しかった。
病気がわかった今、側にいて欲しい人は誰もいない。まして死んだ後の面倒を見て欲しい人間などいるはずがない。
身内と言えば遠く離れた場所に住んでいる母や妹たちと、今は他の星にいる父親だが、俺たちはそれぞれ好きな場所で好きなように生きることを選んで、それでうまくいっている。彼らにそんな面倒なことを頼む気にはなれない。
黙ってしまった俺の横にマリアは腰掛けた。
……誰もいないなら、IDナンバーを警察に届ける。それでいい?
……そうしてくれ。
マリアは俺の肩を抱きかかえた。
……じゃあ、しよう。
……は?
……もう大丈夫でしょ。
マリアはもしかしたら情が深いのかもしれない。
俺たちは抱き合うしかない。他の付き合い方はあり得ない。病気がわかって変わりそうになった俺との関係を元に戻してくれた。

それまでと同じような関係が続いた。
俺は、発作を見られたことで気が楽になった。
一度マリアが電話で誰かと話しているのを聞いた。何を話していたのかはわからない。マリアの激する声で目が覚めた。マリアは電話を持って部屋を出て行った。
彼女には彼女の生活があったのだろうが、俺は何も知らない。
なぜ俺とあんなふうに寝ていたのか、わからない。おそらく彼女にも何か理由があったんだろうが、聞こうとも探ろうとも思わなかった。

ある日いつものようにマリアの部屋へ来ると、マリアはいなかった。マリアだけではない。家財がいっさいなくなっていた。
終わったのだ。
なぜかはわからないが、マリアはこの生活を終わらせたのだ。

その後も少しの間俺は喧嘩とセックスに明け暮れる日々を続けたが、やがてそれを止め、時間保護局に入局した。ひょんなことから20世紀へ渡った。


マリアと会っていた頃、喧嘩に明け暮れていた頃の自分はあまりにも情けない。
だからずっと思い出さないようにしていた。
思い出さないようにしていうるうちに本気で忘れかけていたのは俺にとっては仕方のないことだった。後ろを振り返っている余裕はなかった。前だけ見ていなければ生きていけなかった。
だが、だからと言って、あの日々をなかったことにできるわけではない。
あの情けない日々は確かにあったのだ。
俺はマリアと出会っていた。他の女たちとも出会っていた。喧嘩をした奴らとも出会っていた。
その過去をなくすことはできない。



「いらっしゃい」
そう言ってマリアはアヤセを出迎えた。
アヤセは何も答えず家の中に入る。
マリアはアヤセの目をじっと見た後、視線を下におろす。マリアが身体中に視線を這わせているのを感じる。
やはりあの女はマリアなのか。




「さっきシオンから連絡が来たんだよ」
ユウリがマリアの家から少し離れたところに車を止めてモニターを見ていると、突然ドモンが来た。
映像を見たいから、と言ってユウリの車に乗り込み、自分の車は遠くに停めた。
ドモンは、モニターを覗き込みはっきりしない映像を見て首を傾げる。
「発信機にカメラ付けてんじゃないのか」
「見えないところに付けてるのよ。マリアって人が本当にきのうの女だったら、目に付くところに発信機付けてたら気づかれちゃうから」
「カメラ付けた意味ねえな。アヤセの昔の女ってのを見てみたかったのに」
そう言って大きな欠伸をした。
ユウリはマリアの画像を見せる。
「こういうすましてるのがあいつの好みなのかねえ。俺はもっと可愛らしい子がいいけどな」
「好みをどうこうって言う関係じゃないんじゃないの」
「好みは関係あるだろ。普通好みでもない女とヤッたりしねえよ」
「そういうもの?」
「そりゃそうだろうよ」
ドモンとアヤセの考え方が同じだとも思えなかったが、なんとなく頷いてしまう。
「この発信機どこに付けてんだよ。この映像はなんなんだ」
モニターの暗い映像を見ながらドモンが言う。
「耳」
「へ?」
「耳の中に付けてるのよ」
「耳って…、じゃあ俺たちはアヤセの耳の中見てるってことなのかよ」
「そうだけど、どうせ暗くて何も見えないわよ」
思いっきり顔を顰めているドモンが、メイに支払う料金について何も話さないのは、シオンからは何も聞いてないということだろうか。それならもう少し言うのはやめておこうと思う。
ドモンが再び欠伸をする。
「明日、早いんじゃないの」
「おまえこそ」
「私は明日、休み」
「そうなのか」
ドモンは溜め息をついた。
「無理して来なくてもよかったのに」
と言うと、ドモンは何を言ってるんだ、という顔でユウリに向き直った。
「ユウリ、もしかして俺には連絡しないつもりだったのかよ」
「それは…」
ドモンに話をするべきかどうかは迷っていた。もしかしたら事件でもなんでもないかもしれないのに、わざわざ時間移動から帰ったばかりのドモンまで借り出していいものだろうか。
「随分水臭くないか」
「だって事件でも何でもないかもしれないじゃない」
「それならそれでいいよ。だけどもし事件だったらどうだよ。これでもし何かあってアヤセが死んじまったりしたら、俺は何も知らないでその報告だけ聞けって言うのかよ」
「それは話が飛躍しすぎ」
「飛躍なんてしてねえよ」
「…ごめん」
素直に謝ると、ドモンは驚いた表情でユウリを見た。
「なによ。その顔は」
「いや、ユウリに謝られると怖いっていうか」
「どういう意味よ。私だって謝るときは謝るわよ」
ドモンが来てくれて確かに安心した。
なんでもなければそれでいい。アヤセの昔の女性関係のことをからかっていればいいだけだ。
だが、もし何かあるとしたら一人で対処するのは難しいかもしれない。今は警察の仲間も信じていいのかどうかわからない。
「ユウリ、何かあったのか」
「何かって?」
「いや、やっぱりおまえに謝られると落ちつかねえ。心配になる」
「どうして落ち着かないのよ。どうして心配になるのよ。来てくれて感謝してるの。それだけ。悪い?」
その時ドモンに電話がかかってきた。
「おう、シオン」
ドモンがほっとしたような顔をする。
「おう。俺はユウリの車にいるから。気をつけろよ。何かあったら電話しろ」
ドモンがユウリの顔を見る。
「シオンが今1ブロック向こうまで来てて、ちょっと周り見てみるって」
「了解」
ユウリは頷く。あとは待つだけだ。




マリアが部屋の奥へ歩いて行き、アヤセもそれに続く。
マリアの部屋には物が少ない。それは以前と変わらない。
殺風景な部屋だ。大きなテーブルが一つ置いてある。椅子は2つだけだ。いつでも逃げられるような部屋だがこのテーブルを持って逃げるのは大変だろうな、と思う。
思わず苦笑いするとマリアが振り返る。
「何を笑ってるの」
「いや、相変わらず何も置いてないから」
マリアも少し微笑む。
「それで何の用だ」
「そう急がないで。座れば」
そう言われて、大きなテーブルのこちら側に腰掛けた。
「何を飲む?」
「いや、何もいらないよ。おまえも座れよ。用があるから呼び出したんだろ」
「せっかちね」
そう言いながら、マリアはテーブルの向かい側に腰掛けた。
「アヤセは昔から自分のことしか考えてないもんね」
マリアはゴムを取り出して長い髪を一つに纏め始めた。
「アヤセはあの頃、私のことはよく知らなかったでしょ」
髪を纏め終えると、マリアは頬杖をついてアヤセを見た。
「私は前からちょっとだけアヤセのことを知っていたのよ。」
「……」
「レーサーだった頃のアヤセを見たことがあるの。私の兄がレースを時々見に行っていたから何度か連れて行ってもらったことがあって、その時にアヤセのレースを見た。この男は必ずもっと上に行くって兄が言うし、ファンがいてキャーキャー言ってたから、どんな男かと思って顔を見に行った」
サーキットに来ていたのか。そんなことは一度も聞いたことがない。
「だけど少しすると、上に行くどころか突然消えた。理由も明らかにはされなかった。私はもともとそんなに興味があったわけじゃないし、どうでもよかったけどね。ただ、その男を街で見かけたの」
マリアはアヤセから視線を外さない。
「殴り合ってた。綺麗な顔が紫色に腫れ上がってた。私はその殴り合いをずっと見ていたの。どうしてこの人はこんなことをしてるのか不思議だった。だから喧嘩がすっかり終わった後でその男を拾ったの」
「見たことがあったから拾ったのか」
マリアと会ったのは確かに誰かと喧嘩した後だった。道端に座り込んでいたら、マリアが近寄ってきた。それが最初の出会いだと認識していた。
「オシリスだからレースを止めたのね。それで荒れてたのね。わかり易すぎて泣ける」
まったくだ。わかり易すぎる。
「そのことと、きょう呼び出したことと何の関係があるんだ」
マリアの話は初めて聞くことで驚くが、今聞きたいのはそんなことではない。
「関係はないよ。ただアヤセがまったく何も知らないみたいだから教えてあげただけ。アヤセはあの後、時間保護局に入ったんでしょ。そしてタイムレンジャーになったんでしょ」
どうしてそんなことまで知っているんだ。アヤセがタイムレンジャーだったことを知っている人間は限られているはずだ。
「不思議だとは思わないの? オシリスなのにタイムレンジャーになれるって変じゃない」
マリアの顔をまじまじと見つめる。こいつはいったい何物なんだ。
「おまえはいったい何を知ってるんだ」
マリアは、ふっと笑ってアヤセを見る。
「あ、やっぱりそうなのね。アヤセはタイムレンジャーやってたのよね。人違いじゃないみたいね。3000年から3001年にかけてタイムレンジャーだったのよね」
鎌を掛けられたのか。
「私は何も知らないよ。どうしてアヤセがオシリスなのにタイムレンジャーになれたかなんて全然知らない。ただ不思議に思っただけ。そして、そういうことを疑問に感じないらしいアヤセがあまりにも暢気に見えただけ。でもそんなことを言いたくてわざわざ呼び出したわけじゃない。アヤセに見せたいものがあるの。一緒に来て」
マリアは不意に立ち上がる。
このままマリアのペースに乗ってしまっては駄目だ。そう思ってはいるのだが、アヤセは椅子から立ち上がってしまった。

 

 

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