さまよい続ける(15)
アヤセの目の前に座っている女性はオレンジジュースを一口啜った。
ジュースと同じ鮮やかなオレンジ色の服を着ている彼女は、マリアの正体を調べてくれたユウリの情報屋である。 情報屋と言うからなんとなく屈強な男性を想像していたが全くそうではなかった。ユウリより更に小柄な若い女性だ。
今朝久しぶりにユウリから電話があった。
マリアの正体を調べてくれたユウリの情報屋がアヤセに会いたがっている、とユウリは言った。
「何の用で?」
と聞くと
「わからない。何の用事か言わないのよ。誘拐する気はないから安心しろ、だって」
「……それは、もしかしたら冗談のつもりか」
「たぶんね」
「笑えねえよ」
と言いつつ、笑ってしまった。
「嫌なら断ってもらってかまわないんだけど」
「いや、会うよ。命の恩人の誘いを無下にもできないだろ」
と答えてふとシオンが言っていたことを思い出す。
「ユウリ、休暇で月旅行に行ったんだって」
「行ったわよ。1人で行ったわよ」
とユウリは笑いながら答えた。
誘ってくれればよかったのに、とシオンは言っていた。
「1人で月旅行に行くのは、20世紀に1人でディズニーランドに行くようなものだってドモンさんも言ってました」
ディズニーランドというところにはアヤセもシオンも行ったことがなく、竜也から話を聞いたことがあるだけである。 凄く楽しいからみんなで行きたいと竜也は言っていたが、結局20世紀にいる時にはそんな機会はなかった。 だからドモンもディズニーランドのことは知らないはずなのだが、案外ホナミと一緒にこっそり行ったことでもあるのかもしれない。
月という星は今では殆どの部分がテーマパークになっている。 アヤセも子どもの頃には行ったことがあるが、確かに1人で行くような場所ではないような気がする。
「楽しかったか」
「無重力ツアー、アヤセやったことある?」
「あったような気もするけど、よく覚えてないな」
無重力状態の中でアトラクションをするんだったような気がする。
「おもしろいのよ。病み付きになりそうなのよ。重力から解放されるってほんと楽しいわよ」
ユウリが1人で無重力で飛び回っている様子を想像すると微笑ましいような気も恐ろしいような気もするが、 本当に楽しんで来たようだったので、よかったと思える。
1人で行っても充分に楽しんだ様子が伝わってきたので安心した。
「仕事を依頼したかったんです」
メイという名前のこの女性は意外なことを言い出した。
「ユウリには言えない仕事なんだけどそれでも話、聞く気あります?」
とメイは微笑んだ。
仕事?
もう便利屋でもないのにどうして仕事を依頼されるのか見当がつかない。見当がつかないまま頷く。
「私は探偵をしていて、ある依頼人から少年を1人捜すように依頼されています。少年は依頼人の息子。家を出たまま連絡が取れない。 どうやら今、走り屋をしてるみたいなの」
あ、そういうことか。
「走り屋になって彼を探してほしいんです」
どうしてメイが自分を選んだのかようやく理解する。
これはメイの言うとおりユウリには言えない仕事だ。
この時代の車は基本的には自動運転なのだが、公式レースで車を運転する資格を持っていれば公道でも手動で運転することはできる。
アヤセはオシリスに罹って以来、公式レースに出る資格は失ったままだが、公道で手動運転する資格は今も持っている。 手動運転といっても危険を察知したら自動制御に切り替わるので、完全に手動というわけではない。
走り屋というのは公道で完全手動でスピードを競おうとする者たちである。 無茶をするので事故も多く一般車にとっては迷惑な存在である。 登録車を使ったのでは身元が割れるので、警察に登録していない車を使っている。
「登録されてない車の準備は?」
もっと詳しい話を聞かないことには引き受けるも引き受けないも判断できない。
「こっちで用意します。あなたにはただ乗ってもらえばいいの。 その子の車は特定できているんだけど何度追いかけても撒かれてしまうからどこに住んでいるのかがわからない。 住居を見つけてもらえばあとはこっちでやるから」
ただ乗ってもらうと言っても、登録していない車を運転して捕まったら免許は取り消されてしまう。
走り屋として捕まったなんて過去があったら、レースの世界に戻るのはますます難しくなる。
「報酬はこれ」
とメイが一枚の紙を差し出す。受け取って目を通したアヤセはその数字を見てちょっと驚いた。
「よっぽど危ない仕事なんだな。こんなにくれるのか」
ユウリがこの情報屋に払っている料金と言うのは情報の対価としては多くなかった。 あの料金から考えるとこの報酬というのはずいぶん多すぎるように思う。
「優秀なスタッフにはそれに見合った報酬を心がけているだけ。優秀なスタッフというのはなかなかいないものなの。 危ない仕事というわけではありません。警察の網に引っ掛からなければ何の問題もない。 引っ掛からないだけの技術は持っているでしょう?」
笑顔を絶やさないタイプのようである。当たりは柔らかいが本当は何を考えているかはわからない。
「参考までに言うと、ユウリの仕事は格安料金で受けてます。ユウリには以前警察にいたときに世話になってるし、 一応友達だと思ってるし。もっとお金持ちの上客はいろいろいるからユウリみたいなか弱い個人の仕事で儲ける必要はないの」
アヤセは顔を上げる。メイの顔をまじまじと見つめる。
メイが友達だと思っていることにユウリは気づいているんだろうか。
この目の前の女性は小柄でかわいらしい顔をして微笑んでいるが、とんでもなくやり手なんじゃないかという気がする。
「探偵に雇われているって聞いていたけど、違うんだな。あんたが人を雇ってるんだ。あんたがボスなんだ」
アヤセの言葉に、メイは嬉しそうな表情になった。
「さすがね。思ったとおり勘がいいのね。そう。ユウリや殆どのお客にはボスが他にいるように言っているけど、そうじゃない。 社長は私。ほらこのとおりのルックスだから、私がボスってことになるとはったりが効かないでしょ」
と幼さの残る顔で笑った。
この話はおもしろいかもしれない。
オレンジジュースのストローを回すメイを見ながらそう思う。
そう思っている自分に驚く。
10代の頃に誘われて、一度だけ走り屋の真似事をやったことがある。
楽しかった。
ただ走るだけではなく、いつ警察に追われるんじゃないかというスリルがあった。病み付きになる気はわかる気がした。
だが、それはあまりにもリスクが高すぎた。 もうレースの世界に片足を踏み入れていたので、そんなことで補導でもされてレースに参加する権利をなくすのは馬鹿らしかった。 自分の走る場所は他にあると信じていた。だから一度だけでやめることができたのだ。
あれから長い月日がたっている。
まさかこの歳になって、やってみたら病み付きになってやめられないということもないだろう。
そこまで自分は馬鹿じゃないと思うがひょっとしたら今のほうが危ないかもしれない。 なにしろ21世紀から帰ってきて以来、本気で走ったことはないのだ。
オシリス患者はいまだにレースに出るための運転免許資格を持つことができない。 オシリスは治療法が見つかってその成果も現れているのだから治療の進み具合によっては資格を持てるようにしようという運動はあるが、 まだ実際には許可されていない。
公道ではもちろん本気で走ることはない。
だが、この仕事をおもしろそうだと思ったのは走ることができるからではない。
「俺は今回の報酬はそんなに多くなくてもいい。ただ家出してる子の住み家を俺が見つけた後その子をどうするかぐらいは教えてほしい。 妙な仕事に加担させられたくないんだ」
「いいでしょう。説明するわ」
メイが、探した子をそのまま始末するなどというような怪しい仕事をしているようには思えない。
人を見るときの自分のこういう勘はけっこう当るとアヤセは思っているので本当は心配していない。
冷静に考えればマリアが殺人犯だということも見抜けなかったのだから、自分の勘を信じすぎないようにすべきなのだが。
信じたがっているのだ。
メイを信じ、この話に乗りたいと思っている。
「この仕事を俺がやって仕事の出来にあんたが満足し、俺のほうもあんたの下で働けると判断したらこれから先俺を雇わないか」
「え?」
「ただし、俺は今まだ治療中だ。一か月おきに病院に入らなきゃならない。だから普通の人の半分の期間しか仕事ができない。 だからと言って半分の給料しかもらえないんでは困る。少なくとも今時間保護局でもらっている程度の給料は必要だ」
メイはちょっと唖然とした顔でアヤセを見ている。
「この条件を飲んでもらえるのなら、この仕事は引き受ける」
自分が優秀なスタッフと言えるのかどうかはわからないが、この仕事をわざわざ頼んできたということは、 今度の仕事に見合う人材はメイの周りには多くはいないということだ。この申し出はそう無謀でもないだろう。
「たいした自信家なのね」
と言って笑い出した。
自信なんてまったくない。たいしたハッタリだと自分でも思う。
「半分の期間で、1人分の仕事ができると言うのね」
「できるかどうかはそっちで判断してもらえばいい。こっちもあんたが信頼できるボスなのかどうか判断させてもらうよ」
「時間保護局をやめるつもりなの」
「あんたとの条件が折り合えばね」
「確かに必要な人材は足りないのよ。あなたはもしかしたら適任かもしれない。 元レーサーの卵で元タイムレンジャーで、以前付き合った女に捕まって拘束されて命を狙われた経験のある人間というのはそういないものね」
メイに、自分のことを説明する必要はない。どうせ予め全部調べられているに決まっているのだ。
「いいわ。今度の仕事が終わるまでは試用期間ということにしましょう」
そう言ってメイは手が差し出したので、アヤセも片手を伸ばす。
小柄な身体に似合わない力強い握手だった。
メイと別れて車で家へ向かう。
走りたいからこの仕事を受けたわけではもちろんない。
そう思って苦笑する。そんな当たり前のことをわざわざ自分に言い聞かせているのが可笑しい。
時間保護局にはさんざん世話になっている。だがそろそろ離れる時なのではないかと思う。
タイムレンジャーだったことは誇りだ。マリアが言ったようにリュウヤの口利きがあったんだとしても、リュウヤの計画を実行するのに利用されたのだったとしても、 タイムレンジャーだったことはかけがえのないことだ。
しかし今後自分が再びタイムレンジャーに選ばれることはないだろう。
あの時、歴史が変わるかもしれないのに土壇場で21世紀へ戻ることを選んだ。 もう一度同じ場面に遭遇しても、また同じ選択をするのは間違いない。 歴史が変わることになっても目の前の時代や人間を守ろうとする人間はレンジャー隊員としては危険だ。
あの時に同じ選択をしたドモンはそれでも今レンジャー隊の仕事をやっているわけだが、それはドモンの実力が周りを黙らせるほど圧倒的なものだからだ。
今後体力が戻って勘が戻ったとしても自分がドモンのようにはならないことはわかっている。
タイムレンジャーだけが時間保護局の仕事ではない。
今やっている仕事は誰にでもできる仕事であり決して面白い仕事とは言えないが、つまらない仕事にも意味はあるから今の仕事を嫌だと思っているわけではない。
しかし、とアヤセは思う。
時間保護局に俺のしたい仕事はない。もっと実感がほしい。
家へ帰るとシオンが既に帰宅していた。
「お帰りなさい」
と言って黙ったシオンは何か話したそうだ。
共同生活も長くなったのでお互いの癖はもうわかっている。きっと何か話があるのだろう。 「ただいま」とだけ答えた。
「アヤセさん、お話があるんです」
とシオンは言った。