さまよい続ける(2)

 

急にアヤセの手の中の物がずしりと重くなった。
顔を上げると、竜也が驚いたような顔をしてこっちを見ている。 どうして…?とその表情は言っており、やがて悲しそうにこっちを見たまま膝を着いた。 手で腹を押さえていてその手の間からは赤い血が流れ出ていた。
「竜也?」
呼びかけても返事はない。
駆け寄って抱き起こす。
「竜也、どうした。竜也!」
抱き起こしてみると、それは竜也ではなかった。竜也によく似た面差しの男が腹から血を流している。
「リュウヤ隊長…」
リュウヤは苦しそうにアヤセを見上げている。
アヤセは自分の右手を見てギョッとした。いま火を噴いたばかりの温かな銃を握り締めていた。


はっとして目覚めたのは、自分の部屋のベッドの上だった。
夢だった。
びっしょり汗をかいていた。
いつの間に眠ってしまったんだろうか。ちょっと横になるだけのつもりだったのに。 慌てて起き上がって時計を見ると、病院に入る予定の時間にはまだ間に合いそうだった。
「…ったく」
思わず声が出る。シャワーを浴びた後だというのに、汗だくになってしまった。 濡れた髪のまま寝てしまってその上汗をかいていていて、なんとも気持ちが悪かった。もう一度シャワーを浴びる時間はなかった。


今朝走った後、家に戻ってシャワーを浴びていたら白いタイルが赤く染まっていたので、なんだ?と思ったら、自分の鼻血だった。 たいしたことはないだろうと思い水を止めてしばらく待ってみたが、なかなか治まらなかった。 タイルに血が流れ落ちるのを見ながら、このまま止まらなかったらやばいな、と思い始めた頃になってようやく治まった。
そんなことがあったので、シャワーを浴び終わるのに随分時間がかかってしまって、 出てきたときには当初出かける予定だった時刻を過ぎてしまっていた。 病院へ行くのは昼近くでよかったのでその前にいったん時間保護局へ出勤しようと思っていたのだが、 こんな時間に行っても行っただけですぐに帰らなければならないだろう。 アヤセは保護局へ連絡して、きょうは欠勤する旨を伝えた。
そのままベッドの上に寝転がって目を瞑った。
自分にまだ慣れていない。そう思う。
大きな手術をして、一か月おきにがんがん薬を注入されて、もとのような身体でいられるわけはないのだ。 それはある程度予測していたことではあるが、自分の身体について把握できない。 突然やってくる身体の細かな変調に付いていけていない。
たとえば、やはりきょうは初めから仕事は休むべきだったのだと思う。 もともときょう自分が出勤することを望んでいる者がいるわけでもなかった。
オシリスの治療のために仕事を休むことは当然の権利として法律で認められているが、 1か月おきに休む人間に任せられる仕事というのは非常に限られている。 アヤセは2年前に21世紀から帰って来てからずっと同じ仕事をしている。 この仕事を卑下するつもりはないが、きょう半日休もうが1日休もうが全く影響のない仕事だ。
それなのに入院する前のわずかな時間にわざわざ仕事をしようとするのは、自分が以前のようなペースで動けると、 自分の思ったとおりに動けると誤解しているからではないのか。
今の自分は以前とは違う。
今はこういう状態の自分に慣れなければいけない。 死ぬかもしれないと怯えていた頃に比べれば、こんなことに慣れるぐらい何ということもない。


そんなことをベッドの上で考えているうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。 あんな夢を見て、汗だくになって目覚めた。
汗をかいたら、またシャワーを浴びればいいだけだ。それによって病院に入る時間が多少遅れても問題がないのはわかっている。 ロンダーズを捕まえるわけではないのだから、急いで行く必要はない。
遅れるという行為に慣れていないのだ。
以前はごく普通に行動していたら遅れるということはなかった。 だからドモンが遅刻が原因でグラップ界を追放されたという話も信じられなかった。 遅刻したというのであれば、それはあいつの意志だろうと、あいつが行きたくなかったということだろうと思っていた。
今自分は、普通にやっていると遅刻してしまうような人間になっている。そのことを認めなければいけない。 遅刻しても問題がないようなときには遅刻してもかまわない。そう思ったほうがいい。
慣れなければいけない。
アヤセは病院への連絡ツールに自分のIDナンバーを入力し、入院予定の時刻を変更した。
ベッドの上に投げ捨てていたタオルを掴んでもう一度風呂場へ向かった。



時間保護局の技術研究所には異星人が多い。
ユウリは技術研究所の人物データ映像を見ていた。時間保護局は異星人に対する差別意識が少ないのだろう。 優秀であれば出自は問わない。
だが、その中でもシオンみたいなのは特別だ。あそこまで頭脳優秀な異星人というのも聞いたことがない。
シオンのデータを見る。青い髪の写真である。 髪の色なんていくらでも変えられるから、このデータ写真に惑わされてはいけないという見本のような写真だ。 この間会ったときは栗色の髪をしていた。
プロフィールのところに「オシリス症候群の治療法の研究に尽力」と書いてある。尽力っていう表現が苦し紛れで笑わせる。 治療法を見つけたってはっきり書けばいいじゃないの。だが、そうは書けないのだ。 時間保護局はシオンを手放したくないから他での彼の功績を大っぴらにしたがらない。 医療研究所はメンツにこだわって、他所の人間であるシオンが治療法を見つけたことを認めたがらない。 どちらも自分たちの利害のことばかり考えている。
同期で入った同僚が殺されて、きっとシオンはショックを受けているだろう。
「ユウリ、電話」
そう言われて、人物データに目をやりながら電話を取った。
「ユウリ、きょう会えない?」
名乗りもしない女性が誰なのかすぐにわかった。
少し迷ったユウリの気持ちを見透かすように
「新しい情報もあるよ」
と笑い混じりの声が言った。
「お昼でもいい?」
データを見ながらユウリが聞くと、電話の主はオーケーと言って、食事する店を指定してきた。


電話の女性は以前インターシティ警察の通信士だった。名前はメイ。ユウリの死んだ妹と同じだ。 名前なんてただの記号だと思っているから同じ名前だからどうということもないのだが、気にはなる。 ユウリには女友達というのは多くなかったが、メイとは歳も近いしなんとなく気が合っていた。
ユウリが1年間の21世紀への時間移動から帰ってきたら警察をやめて、いなくなっていた。
指定された店の前に立ち、ユウリは少し躊躇した。メイには会いたい気もあるが、一方で会いたくないという気持ちもある。
メイはよく新しい店を教えてくれる。きょうも行ったことのない店を指定された。
入ろうとすると、中から数人の男たちが出てくるのにぶつかりそうになった。
「あ、失礼」
そう言って避けた男に、いえ、と軽く頷いて中へ入ろうとしたら
「あれ、ユウリ?」
とその男が言う。目を上げるとドモンだった。
ドモンが来る店ということは食事の質というより量が多い店なのか、と咄嗟に思う。
「昼飯か」
と聞かれて
「うん、まあ、そう」
と答える。
「アヤセ、きょうからまた病院だとよ」
ドモンに言われて、ああ、この間アヤセに会ってからもう一か月たったのかと気づく。
「そのうち行ってみるわ」
ここしばらくアヤセとは彼が病院にいる時にしか会ったことがない。
「ドモン、早くしろ」
先に行っていたドモンの連れの男が呼んでいる。ドモンは手で合図しながら
「今から急に時間移動なんだ」
と言った。
「ご苦労様」
ユウリはそう言って手を振る。ドモンもじゃあな、と手を振って駆けていった。
シオンの同僚が殺されたことをドモンはまだ知らないだろう。よりによってアヤセもドモンもいないのか。


メイはもう先に店に来ていて、ユウリが入ったのに気づくと手を上げた。
「ここは、おいしい上に量が多いのよ」
ユウリが席につくなりメイが言う。
やっぱりドモンが来るぐらいだから量が多い店なんだ、と思って可笑しくなる。 ユウリもメイも女性にしてはよく食べるほうなので、量が多いにこしたことはない。
「ユウリもきっと好きだと思ったんだ」
とメイは微笑んだ。
自分がいない間に警察をやめていたメイがユウリに連絡してきたのは半年ぐらい前だった。 警察をやめて探偵の仕事を手伝っている、と言った。 どうして警察をやめたのかというユウリの質問に、こっちのほうが気楽だから、と答えた。 そしてユウリがその時に調べていた事件の有力な情報を提供してきた。
ユウリの情報屋になるわ、とメイは言った。 情報屋に払うほどの収入がない、とユウリが言うと、少しの金額でも助かるから、とメイは言い、 その後何度かユウリに情報を提供してきた。
メイと自分は以前のような単なる友人ではなくなってしまった。
はたから見ればごく普通の友人同士に見えるだろう。だが今は友人と言うより警察官と情報屋という関係の方が強い。 メイの情報は役に立つことばかりではなかったが、比較的確かなことが多かったので、助けられたことが何度かある。
メイに一緒に食事をしようと言われると、重要な情報を持っているかもしれない気がして断れない。 そんな自分がいかにも打算的に思える。
メイはそんなユウリの逡巡をおそらく見透かしている。
「今朝、時間保護局の男が殺されたでしょ」
メイが明るい声で言う。ユウリは何も言わずに次の言葉を待った。
「麻薬に関わっていたって噂あるよ」
法的に問題のあるような薬物をやっていたという検死結果は出ていないと思ったけれど。
「あくまでも噂だけどね」
そう言ってメイはユウリの顔を見て微笑む。
この人はいつも笑っている。ユウリにはそう思える。

 

 

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