さまよい続ける(3)
「アヤセ、アヤセ!」
アヤセが笑いながら
両肩を掴んで揺さぶられて、やっと目が覚めた。ユウリの視線を捉えてゆっくりとベッドから身を起こす。
「大丈夫?随分うなされてたけど」
ユウリが眉間に皺を寄せて覗き込んだ。
「薬のせいだから」
と答えて額の汗を腕で拭う。ユウリが心配そうな顔をしているのに気づいて微笑んだ。
「大丈夫だ。今飲んでいる薬のせいで妙な夢を見るんだ」
「そう、」とユウリは小さく頷いたが、心配そうな表情は変わらない。
「凄い汗。着替えた方がいいんじゃない。外に出てるから」
と言って、
「そうだな」と答えたアヤセの顔を見ずに病室を出て行った。
眠っている間に声を出していただろうか。どんな夢にうなされていたのかユウリにはわかったかもしれない。
着替えを済ませて部屋の外へ出ると、ユウリがぼんやりとした顔で壁に凭れていた。
なんとなく狭い病室にいる気分でもなかったので「向こうへ行こう」と促してロビーへ向かった。
「夢を見るって…大変じゃない」
並んで歩きながらユウリが言う。
「どってことないよ。夢で死ぬことはないだろ」
そう言って笑うと、ユウリもつられたように少し笑顔を見せた。
「それはそうね」
「おまえのほうがよっぽど疲れた顔してる。忙しいんだろ」
ロビーの椅子に腰を掛けながら訊ねた。
「忙しいのはいつものことよ。確かに休み取るのは久しぶりだけどね」
ユウリもアヤセの向かいの椅子に腰を掛ける。
「たまの休みなんだから、こんな所へ来なくてもいいんだぞ。もっと気分転換になるようなことをしたほうがいい」
アヤセがそう言うと、ユウリは「うん」と頷き、少しの間黙っていたが、俯いて言った。
「そう言われても、行くところがないのよね」
「え?」
「休みでも私にはすることがない。行くところもないの」
とため息をつくように呟いた。
「行くところがないから、ここに来てるって言うのかよ」
アヤセは苦笑いする。ユウリは慌てて目を上げた。
「もちろん、それだけじゃないわよ。それだけが理由で来てるわけじゃないけど」
「いや、いいよ。行くところがないならいつでも来いよ」
と言うと、ユウリはまた下を向いた。
「ごめん。そんなのアヤセだって迷惑だと思うけど」
「迷惑なんかじゃねえよ。おまえ、俺がどれほど暇を持て余してると思ってんだよ」
「そう?」
悪いことを言ってしまった、といった表情のユウリに、アヤセが笑いながら「ああ」と頷くと、ユウリはやっと安心したように微笑んだ。
その笑顔がとても幼く見える。ユウリはごくたまに小さい子どものような頼りない表情をすることがある。
家族が生きていればユウリも行くところがないなんて言わずにすんだだろう、と思う。
あの時、21世紀へ戻ることを選んだ。
それは同時にユウリの家族を殺してしまったということなんだろうか。
ユウリのことだけではない。オシリスの治療法がもっと早く見つかっていれば助かるはずだったたくさんの人を 殺してしまったのかもしれない。こんなふうに考えるのはきっと傲慢だろう。 だが自分がオシリスで苦しんでいる時には思いもしなかったこんなことを最近は時おり考える。
「シオン、ここに来る?」
「ああ、2、3日前にも来たな。そういやユウリ、あいつの同僚が殺された事件追ってるんだってな」
「うん。アヤセ、被害者のこと知ってる?」
「いや、知らない。研究所とは交流ないから」
アヤセが病院に入った日に、その男は死体になって発見されたのだという。
あの日の夜遅く、シオンはアヤセの病室に来た。
明かりを消してもう真っ暗になった部屋にシオンはそっと入ってきて
「アヤセさん、もう寝ちゃいました?」
と小声で聞いた。
ベッドの上に起き上がり
「いや、まだ起きてるよ。どうした?」
と訊ねると、ベッドの脇に置いてあった椅子に腰掛けて「はい」と答えたきり黙ってしまった。
「電気、付けるぞ」とアヤセが言うと、シオンは
「あ、いいです。すぐ帰りますから」
と答えたので、アヤセは明かりを付けるのはやめてシオンが話し始めるのを待った。
「研究所で一緒に働いていた人が死んじゃって」
シオンが静かな声で言う。
「殺されたみたいなんです」<
だいぶ暗闇に目が慣れてきたが、シオンがどんな表情をしているのかまでは見えなかった。
「どうして…。犯人はわかってるのか」
と聞くと「いいえ」と首を横に振った。
「わかっていません。どうして殺されたのかもわかってないみたいです。なんか…嫌です。こういうの」
淡々と話すシオンに何と言ってやったらいいのかわからなかった。
「誰かが死んじゃうのは嫌です」
しっかりした声でシオンが言う。
「そうだな。嫌だな」
アヤセも繰り返す。シオンとアヤセは共に何人かの人間が死ぬのを見てきた。もうそんなのは見たくない。
「シオン、きっとショックだったよね」
とユウリが言うので
「そりゃそうだろうけど。でもあいつは大丈夫だよ」
と答えると、ユウリは「そうよね。大丈夫よね」と頷いた。
ユウリさんに心配されちゃいました、とシオンが言っていたのを思い出す。
「ちょっと、ごめん」
ユウリが突然立ち上がって席を離れた。
電話に出ている。
何を話しているのかはアヤセのいるところからでは聞こえない。 だが今までどこかぼんやりと頼りない様子だったユウリの顔つきがみるみる変化していくのがわかる。
電話を終えようとするころにはもう完全に仕事の顔に変わっている。
「ごめん、行かないと」
電話を終えたユウリが自分のバッグを掴んだ。
「ああ」
とアヤセが腰掛けたまま頷くと
「慌しくてごめん」
とまた謝る。
「あやまんなよ。また来い」
と言うと、ユウリは「うん」と頷いて、小さく手を振ると急ぎ足で出て行った。
休みになってもすることがないのは普段忙しすぎるせいでもあるだろう。 しかし忙しく働いているのがまたユウリの性に合っているのだと思う。
アヤセはとりあえず椅子から立ち上がった。
夜10時を廻っていた。遅くなってしまった。
研究所を出る時間としてはいつもよりむしろ早いぐらいだったが、きょうはこのあと行かなければならない場所がある。<
急いで自分の車に乗り込もうとしたシオンは、後ろに人の気配を感じた。
振り向くと、至近距離に男が立っていたので咄嗟に身を屈める。
シオンの行動が予想外だったらしく虚を突かれた感じの男を避けて車づたいに左へ移動すると左の脇腹に何かがぶつかった。
別の男が銃を押し当てていたのだ。
銃身が短かったのでシオンは銃を持っている男の手首を掴んで押し上げる。
右側の男が向かってきたのでそのまま思いっきり蹴りを入れた。男は苦しそうにうめいてその場にうずくまった。
今度は左側の銃を持っている男の襟を掴んで投げを打った。思いがけずきれいに決まって男は気を失った。
蹴りを入れた男が腹を押さえながらよろよろと立ち上がってきたので右のパンチを出すと、こっちの男も完全に倒れた。
あっという間の出来事だった。
倒れている二人の男を前にシオンは息を整えた。
見覚えのない男たちである。待ち伏せされていたのだと思うがなぜ自分が狙われるのか見当がつかない。
誰かを殴ったり蹴ったりしたのはタイムレンジャーをやめて以来のことだった。
倒れている男の首筋に手を当てた。二人とも生きていることを確認して少しほっとした。
ポケットからハンカチを取り出して落ちている銃をハンカチの上から掴んだ。 銃器に詳しいわけではないシオンには使い方がよくわからなかったがストッパーと思われる箇所を押しておく。 これでおそらく多少触っても暴発の心配はないだろう。
銃を自分の車のシートの上に置いた。
さて、この二人の男をどうしたものだろうか、と思う。
言えば心配されるに決まっているので言いたくない気はするのだが、 やはりここはこれから会いに行く予定のあの人に知らせるしかないのだと思う。
シオンは倒れている男たちを見ながら電話をかける。
「ユウリさん、遅くなっちゃってすみません」
今夜これからユウリの自宅に行くことになっていた。
きょう警察のコンピュータシステムに何者かが侵入してちょっとした騒ぎになったらしい。
ユウリの自宅のコンピュータも警察のシステムと繋がっているので、侵入されていないかどうかシオンがチェックしてやる予定である。
「いいよ。忙しいのに、こっちこそごめん。今夜来れそう?」
ユウリはおそらく待ちくたびれていただろうが、そんな様子はおくびにも出さない。
シオンは静かな声で切り出した。
「あの、それがですね、いま僕襲われちゃって」
電話の向こうが一瞬、沈黙した。
「どういうこと?」
ユウリは、シオンが予想していたとおりの緊張した低い声を返してきた。