さまよい続ける(4)
モニターを睨んでいたシオンが振り返った。
「ユウリさんのは侵入されていません。大丈夫ですよ」
と微笑む。
「よかった」
ユウリはとりあえずほっとする。
「シオンがセキュリティを強化してくれたおかげね」
「そうかもしれません」
シオンも素直に肯定した。
もう外は白みかけている。きょうは長い1日だった。
きょうは休日のはずだったのだ。 久しぶりにアヤセの病院へ行ってからまだ半日しかたっていないのに、それは随分昔の出来事のような気がする。
アヤセに会っている最中、休日だというのに電話でセトから呼び出された。 出勤すると、インターシティ警察のコンピュータに何者かが侵入したと言われた。 呼び出されたからといってユウリには何もできることはない。
声紋、指紋、瞳孔の3つが一致しなければこのシステムには入れないからセキリュティは万全のはずだったのだが、 そうではなかったらしい。
侵入者は足跡を残すものだというけれど、この侵入者がどこから入ったのかがわからない。
何かを破壊しようとしたわけではないらしく、どこかを操作された形跡はないという。 ただたくさんのファイルを覗いていることはわかっている。
「俺のファイルとおまえのファイルはことごとく覗かれてるらしいぞ」
とセトが行った。
別にユウリとセトの関係ファイルだけが覗かれていたわけではないのだが。
「何を知りたいのか知らねえが、薄気味悪いな」
セトの意見に賛成できることはあまりないんだけれど、きょうばかりは同じ気持ちだった。気味が悪い。
こんなことがあったので、インターシティ警察のシステムと繋がっているユウリの自宅のシステムも覗かれているんじゃないかと 心配になってシオンを頼ったのだが、その日にまさかシオンが襲われるとは思わなかった。
なぜ襲われたのか?
シオンも心当たりはないという。
「もっとちゃんと、よく考えて。思い出して。ちょっとでもおかしいと思ったこととか変わったことはないの?」
シオンは首を傾げた。
「変わったことっていえば、一緒に働いていた人が殺されちゃったっていうことしか…」
ついこの間同僚の異星人が殺された。今度はシオンが襲われた。偶然とは思えない。
<シオンを襲った二人の男を徹底的に調べるしかないだろう。そうすれば何か出てくるかもしれない。
「ああ、もう朝になっちゃいましたね」
シオンが時計を見た。
「ごめんね。疲れてるのに」
「いえ、僕は疲れませんから。ハバード星人ですから」
ハバード星人が本当に疲れを知らないのかどうかはわからないが、シオンは確かに疲れ知らずという感じである。ちょっと羨ましい。
「ユウリさんこそ、ちゃんと睡眠をとらないとお肌によくないんですよね」
シオンは大変な思いをしたばかりだというのに、いつもと変わらない調子である。
警察の取調べが終わった直後であるにもかかわらず、シオンがユウリの自宅のコンピュータを調べてくれるというのでその言葉に甘えて来てもらった。
本音を言えばそう言ってくれてほっとした。こういう時だからこそきちんと調べておきたかった。
もしシオンがいなかったら警察の派遣する技術者を頼んで調べるしかなかったが、 警察の職員はみな自宅も調べたいと思っているにちがいないから、きょう明日中に来てもらうのは無理だろう。
それに何よりも、シオン以上の技術者がいるとは思えない。
「大丈夫ですよ」とシオンに言われてほっとする。
「警察で採用しているセキュリティだけじゃ足りないと思ったの?」
ユウリはシオンに2杯目のコーヒーを差し出し、シオンは「ありがとうございます」と受け取って砂糖とミルクを入れた。
「念には念を入れただけです。普通はこんな必要ないんですけどね。思いがけず役に立っちゃいましたね」
とコーヒーをすする。
ユウリの自宅のシステムはシオンによって、指紋、声紋、瞳孔の一致に加えて、爪もチェックしてDNA が一致していないと入れないようにしてある。最初にDNAと聞いたときにはそこまでする必要があるのか疑問に感じたが、 シオンの判断が正しかった。
「侵入者って、どうやって警察のシステムに入り込んだんだと思う?」
「それは、見てみないとわかりません。どんな方法を使ったのかなあ」
シオンに調べてほしい。そうすればわかるかもしれない。しかし警察のシステムを全くの部外者のシオンに調べてもらうわけにはいかない。
時間保護局と医療研究所がどちらもシオンを利用したがるのを苦々しく思っていたが、結局自分も同じかもしれない、とユウリは思う。
「ユウリさん、きょうはお休みのはずだったんですよね」
そうだった。きょうは休日だったので、久しぶりにアヤセの病院へ行ったのだ。
「アヤセに会って来たわ」
「お元気でしたか?」
「うん。元気そうだったわ…」
元気そうに見えた。だけど。
「何か気になっているんですか」
シオンに聞かれてドキッとする。時々シオンには心を見透かされているような気がする。
「気になってるってわけじゃないけど、うなされていたから」
ああ、とシオンは思い当たることがあるような顔で頷いた。
「薬のせいって言ってたけど、そうなの?」
「今度の薬は脳に働きかけてるから、悪夢を繰り返し見るような副作用が出る場合もあるみたいです。 でも、ちょっといつも薬が強すぎるんじゃないかって気がするんですよね」
シオンは治療法の発見者と言ってもいいのだが、いま実際に研究や治療に携わっているわけではない。 だがアヤセの治療の様子を見て感じることはあるのだろう。
「確かにアヤセさんは病気もかなり進んでいたし、そのわりには他の患者のみなさんより体力もありますから、 他の人よりたくさんの薬を一度に使うっていうのもわかるんですけど、 普通の人が2回に分けるところを1回でやっているような感じなんです」
普通の倍の量の投薬を一度に受けているということなのか。
「薬の量っていうのはその人の病状や体力によって決めていますから多いからといって心配はないとは思いますけど」
心配はなくても負担は大きいだろう。
竜也の名前を呼んでいた。たぶん。
だから最初は、アヤセは竜也の夢を見ているのかと思った。
でも違った。アヤセが見ていたのは、おそらく、竜也の子孫であり容姿が竜也によく似ているリュウヤ隊長が死んだ時の夢だ。
悪夢。そう言っていいのかもしれない。あんな夢をしょっちゅう見ていたのではたまらない。
リュウヤ隊長が死んだのはアヤセのせいではない。それはアヤセにだってわかっているだろう。 だけど、あの時のあの騒ぎの中であの人が死んだのは間違いのないことだし、アヤセの腕の中で死んだのも間違いのないことだ。
忘れられるわけがない、と思う。
「悪夢のせいで目が覚めて夜よく眠れないみたいでしたから、薬の量を減らした方がいいんじゃないですかって言ったんですけど、」
シオンはコーヒーの残りを飲み干した。
「夢を見るのも退院して薬をやめるまでのことだろうから、って言われちゃって」
そうだろうか。薬をやめたら本当に悪夢を見なくなるんだろうか。
「じゃ、そろそろ帰りますね」
シオンが立ち上がった。
夢の内容をシオンは知っているんだろうか。
なぜかそれは聞けなかった。
シオンは護衛を手配するというユウリの提案を断固拒否し、送っていくという申し出も笑顔のまま、しかし強硬に断って帰って行った。 せめて家へ着いたら連絡するようにと約束させた。シオンとアヤセの住居自体は安全だろう。 きょうはアヤセはいないけれど、シオン自身の手で施されたセキュリティは何よりも信用できるもののはずだ。
電話が鳴った。シオンからだ。
「ちゃんと家に着きましたから安心してください」
一応はほっとする。
「油断しちゃだめよ。家を出るときも充分に気をつけて」
今は無事だったが朝出勤するのも心配だ。このままでは、また狙ってくださいと言っているようなものである。手立てを考えなくては。
誰かが自分を見下ろしている。まだ目が覚めきらなくて誰なのかわからなかった。
髪が長い。
女だ。
誰なのかがわかって、驚いて飛び起きた。
「おはよう」
と静かに言われたが状況が飲み込めない。
「おまえ、何やってんだ」
ここは病院だよな。思わず周りを確かめる。なんでここにこの女がいるんだ。
「もう9時だよ。そろそろ目が覚めるかなあと思って待ってみた」<
と微笑まれて、眩暈がしそうである。
「どうして、ここにいるんだ」
かろうじてそう聞くと、
「お見舞いに決まってるじゃない」
と言っていきなりベッドの上に腰掛けて目の前に顔を近づけてくるので、のけぞった。
「馬鹿、モニターで全部見られてるんだぞ」
と言うと、
「そんなの別にいいよ」
と答える。おまえはいいだろうが俺はよくない、と心の中で呟いてアヤセは改めて彼女の顔を見る。
からかってみたかっただけのようで彼女はさっさとベッドから離れた。 以前も、この女といて自分が主導権を握ったことはなかったな、とアヤセは思い出す。
時間保護局に入る前、病気のことがわかってレースをやめた一時期、喧嘩に明け暮れ、後腐れのなさそうな何人もの女と付き合った。 そんな女の中のひとりである。
先週偶然再会した。
最初は誰なのかわからなかった。 一晩だけの付き合いというわけではないが、付き合ったのはほんのわずかな期間のことだったし、他にも女はいた。 彼女の見た目はその頃とそれほど変わっていなかったが、アヤセにとってあの情けない日々は思い出したくないことなので 記憶の底に沈めていたのだと思う。
先週この病室のドアを開けたところで声をかけられて、ここで2、3分話した。
この部屋に勝手に入るには許可が必要なのだが、あの時彼女を2、3分入室させてその後入室許可を取り消さなかったことが、 今日の彼女の入室を許可したことになったのだと思い当たる。
しかし、まさかまた来るとは思わないではないか。だいたい昔だってそれほど執着されていたわけではない。 離れて行ったのはこの女からだったと思う。
「そんなに嫌な顔をしなくてもいいじゃないの」
淋しそうな顔をして言う。そういえばあの頃もいつも淋しげな顔をしていた。
「マリア、何か用があるのか」
「あ、やっと思い出したね。私の名前」
と目を伏せて笑った。
「とにかく…」
用事がないなら帰ってくれ、と言おうとした時、部屋のドアが開いた。
「アヤセ、入るわよ」
と声がして、衝立の向こうからユウリが顔を出した。
「おはよう…、あれ?」
ベッドの脇に立つマリアに気づいて動きが止まった。
「あ、ごめん。ごめんなさい」
と言って慌てて部屋を出て行った。
「おい、待て!」
とアヤセが声をかけたが届かなかった。
なんで逃げるんだ、あいつは。
アヤセはマリアの方に向き直った。
「とにかく帰ってくれ」
「恋人、だった?」
マリアがドアを指さして言う。
そんなんじゃない、と本当のことを言いそうになるが、わざわざ教える必要はないということを思い出す。
ユウリは何か用事があって来たに違いなかった。いつでも来いとは言ったが、きのう来たばかりである。 用もなく二日続けて来るなどということはユウリに限ってあり得ない。
用事があるのにどうして逃げるんだ。
「とにかく帰ってくれ」
と繰り返すと、マリアは素直に頷いた。
「帰る」
と言って、椅子の上のバッグの中からメモを取り出した。
「これ、連絡先」
とアヤセに手渡した。つい受け取ってしまう。
相変わらず痩せている。女性としてはかなりの長身だが以前より更に背が高く見える。あの頃より更に痩せたのかもしれない。
マリアは歩き始めたが、ふと立ち止まって振り向いた。
「アヤセ、寝てるとき、うなされてたよ」
と静かに言ってアヤセを見た。
「前はそんなことなかったのにね」
思わずマリアの顔をまじまじと見る。
「うなされてるのを見てたのか。趣味悪いな」
マリアはちょっと微笑んで、部屋を出て行った。
なんなんだ。
なにかの花のようなマリアの香りがかすかに残っている。あの頃と同じ香りだ。
ため息が出る。
疲れた。